【子供の教育】アメリカの教育改革

空手の練習

レーガン大統領政権の教育改革について、先週に引き続き八木秀次著「明治・大正・昭和‥‥親子で読みたい精撰尋常小學修身書」の監修者解説からご紹介いたします。

「道徳読本」

この教育改革に着手したレーガン政権の最後の教育庁長官を務めた人物にウィリアム・ベネットがいる。ベネットは教育庁長官を辞めた後、1993年に自ら編纂した『道徳読本(The Book of Virtue)』という本を刊行した。これは832ページという大部ながら、1994年から95年にかけて250万部を売る大ベスト・セラーになり、その後も売れ行きが衰えず、現在ではアメリカ家庭の第二の『聖書』となりつつあるという。

10の徳目

その内容は「自己規律」「思いやり」「責任」「友情」「仕事・勉強」「勇気」「忍耐」「正直」「忠誠」「信仰」という10の徳目によって章が構成され、それぞれの徳目についての説明とともに、関連する古今東西の民話や寓話、偉人・賢人の逸話や随筆を短くまとめたものが掲載されたものである。

人格や道徳心を高める

ベネットは『道徳読本』刊行の趣旨を序文の部分で次のように述べている。「この本は、昔ながらの大事なこと、つまり子どもや若者たちの人格や道徳心をいかに高めたらよいのか、をテーマにまとめられています。(中略)

よい習慣とお手本

人格を高めるにはよい習慣をもつことが絶対に必要です。さらにはお手本が大切です。よくいわれますが、黙って『善い行い』のお手本を示されることほど、子どもたちに深い影響を与えるものはありません。(中略)

優れた人格とは何か

もしも子どもたちに、尊敬に値する素晴らしい人格を身につけてもらいたいと願うなら、まず、尊敬できる人格とは何か、それがなぜ尊敬と忠誠をかちとるのかを教えなければなりません。つまり、子どもたちは、優れた人格というもののかたちと内容が具体的にわからなければならないのです。(中略)

昔はどこにでもあった

それはひと昔前ならばどこの家庭でも、学校でも、教会でも、子どもたちに語られていたものです。現在、そのような習慣は失われてきています。この本が、その素晴らしい習慣を取り戻すきっかけとなったらと願っています。(後略)」(本からの抜粋引用は以上です。)

あるべき姿を明確に示す

子供たちにあるべき姿を明確に示すことが大切だと思います。それは子供を型にはめることではありません。人としてどう生きるのかという指針であり、子供たちの幸せな人生と未来の良い社会の実現のためだと思います。それは一言で言えば、「神様を中心にした生き方」だと言うことができると思っています。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は日本人の生き方に深い関係があり、人としてどう生きるのかということでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書9章32~34節

この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれて口のきけない人が、みもとに連れて来られた。悪霊が追い出されると、その人はものを言った。群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言った。

しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国(みくに)の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のための働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

悪霊につかれた人

今の日本で、「悪霊につかれて口がきけない人」がいるのかどうか分かりませんが、私は見たことがありません。未開種族の間では今でもそのようなことがあるという話を聞いたことはあります。少なくともイエスの時代、誰の目にもそれと分かる形で「悪霊につかれた人」がいたのだと思います。

超自然的な神様の力

ユダヤ教の指導者であるパリサイ人はイエスを悪く言いましたが、それは逆にイエスを通して超自然的な力が働いていたことは事実だということを示しているのではないでしょうか。それは何かの例えや教えではなく、実際に神様の力がイエスを通して働いていたということだと私は思います。

「御国の福音」

「御国の福音」とは、神様を中心にして生きる幸いということだと思います。群衆が羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れているとありますが、中心とすべき神様を見失っている状態ではないかと思います。人は神様が中心でなければ、自己中心になっていると思います。そして、悩みが絶えない状態にあります。全ての解決は神様を中心にすることにあると思います。

神様を中心にして生きる幸い

しかし、それは宗教をやることを意味していないと思います。イエスもユダヤ教に改宗しなさいとか、キリスト教に改宗しなさいということは教えていないと思います。神様を中心にして生きる幸いについて、すべての町や村を巡って教えたのだと思います。

収穫は多いが、働き手が少ない

「収穫は多い」とは、悩み苦しんでいる人は多いということでしょうか。「働き手が少ない」とは、教える人、伝える人が少ないということなのでしょうか。「収穫の主」とは、神様のことでしょうか。宗教ではなく、神様を中心にして生きることが解決であることを体験し、そのことを伝える人がもっともっと増えるように祈りたいと思います。

いかがでしたか

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

■お知らせ■

2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しいたします。入場無料、予約不要です。ぜひお出で下さい。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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