古代日本にイスラエル人はやって来たのか。ユダヤ教のラビであるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介しています。今日はスコットランドの実業家でノーマン・マクレオドという人が1875年に長崎で出版した『日本古代史の縮図』(邦訳は『天皇家とイスラエル十支族の真実』たま出版刊)という本からトケイヤー氏が紹介している内容です。
日本人はイスラエルの失われた十部族なのか
マクレオドはその中で、日本人がイスラエルの失われた十部族の子孫であるという説を展開した。マクレオドは、日本に伝わる古代文字すなわち神代文字の幾つかは、中近東で用いられていた文字によく似ていると述べている。
カタカナとヘブライ語文字の類似性
また、奈良時代に吉備真備(きびのまきび)(695~775年)がつくったと言われるカタカナは、1868年にイスラエルの死海東岸から見つかったモアブ石の文字と多くの点で似通っているとも述べている。
古代日本の兵士が身につけていた鎧
マクレオドは日本の骨董品店で、長い巻物に描かれた古い絵を手に入れた。その絵には、材木を縄でしばり合わせた大きなイカダの中央にすわっている神武天皇と王子たち、また彼らを取り巻いて立っている兵士たちが描かれていた。絵を見ると、彼によればその王子たちの身につけていた鎧は、アッシリヤかメディヤのものにそっくりだった。
靴、剣、槍、弓
そして王子たちは、「イスラエルの王が使ったような(旧約聖書エゼキエル書16章10節)じゅごんの毛皮の靴を履き、ペルシャの剣を腰に帯びていた」「兵士たちのうちの何人かは古代イスラエルの一角獣型の槍を持ち、何人かはメディヤの歩兵が手にしていたような槍を持っている」「日本の大弓が古代オリエントの弓と同じものであることは、スミスの有名な『図解聖書辞典』を見ればわかる。この本に載っているイスラエルの弓は日本の弓とそっくりだ」等と書いている。
皇族や公家の顔だち
マクレオドはまた、とくに皇族や公家の人々は、ユダヤ的な顔だちをしていたと述べている。1872年の第一回京都博覧会で、明治天皇と皇族方の姿を見る機会を持った彼は、「その会場で、私はユダヤ系の顔をした人をたくさん見かけた。彼らの顔だちはかつて私がヨーロッパで見たユダヤ人の顔とそっくりだった。・・・明治天皇の随行員は、全員がユダヤ人の顔つきをしていた。天皇陛下の顔だちは、ワルシャワとセント・ペテルスブルグの裕福なユダヤ人銀行家、エプシュタイン家の人々によく似ていた。若い伏見宮(ふしみのみや)殿下は、お写真を拝見した限りでは、皇族の中でも一番ユダヤ的な顔だちをしておられた」とまで書いている。
マクレオドの評価
マクレオドは、こうした彼の主張を日本でも講演してまわった。日本で彼の主張に耳を傾ける者はほとんどいなかったが、海外ではセンセーショナルな話題になった。ただし今日の学者は、彼の主張に重きを置いていない。マクレオドはまた、朝鮮半島におけるイスラエル十部族に関する本も書いている。(本からの引用は以上です。)
日本人とユダヤ人の関係
以前にも書きましたが、全ての日本人が失われたイスラエル十部族の子孫だと言うことはできないと私は思います。日本人の起源は単一民族ではないと思います。ただ、北イスラエルの十部族、南ユダの二部族の人々が紀元前の日本に渡来した可能性、また紀元後にもメシヤニック・ジュー(イエスをメシヤとして受け入れるユダヤ人)のあるグループが日本に渡来した可能性、しかもかなりの数で渡来した可能性は十分にあると思います。そして、その影響が日本人と日本文化に色濃く見られることは間違いないだろうと思っています。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の教えを記した教典というよりも、ユダヤ人の歴史と文化の記録であり、日本人の生き方にも深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人の生き方の源泉を知るために聖書を読んでいただきたいと思っています。
新約聖書 マタイの福音書 12章38~45節
そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
しるしを見せていただきたい
「しるし」とは、本当に神様から特別な権威を与えられ、油注がれたメシヤであるという証拠を見せて欲しいということではないかと思います。すでに超自然的な神様の力がイエスを通して働いていることを目の当たりにしながら、「しるし」を見せて欲しいというのは一体どういうことなのでしょうか。
頭で考えて納得することが全てではない
しかし、神様を中心にして生きるとは、このように頭で納得するような証拠を求めることではなく、実際に自己中心を退け、神様を中心にして生きることによって知る生き方だと私は思います。
預言者ヨナ
ヨナとは旧約聖書に記されている預言者です。神を離れ、悪が蔓延するニネベという大都市に遣わされ、神様を中心にするようにと呼び掛けた人です。驚いたことに、特別な奇跡を見た訳でもないのに、ニネベの人々は悪を離れ、神様を中心にしたのです。
南の女王
南の女王の話も旧約聖書に出て来ます。ソロモンの知恵を聞くためにはるばるイスラエルにやって来たのです。それは全ての問題の解決は神様を中心にすることにあるという話であり、実際に南の女王は神様を中心として生きるソロモン王とイスラエルの繁栄を目の当たりにしたのです。
神様を中心にして生きる
汚れた霊を追い出すだけでは十分ではないと思います。その心が空っぽであれば、もっと悪いことになってしまうということだと思います。神様を中心にして生きること。それが大切なことだと思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
■お知らせ■
2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しいたします。入場無料、予約不要です。ぜひお出で下さい。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。