【キリスト教・宗教】第2の「オウム真理教」を生み出してはいけない

女性の目

元クリスチャン(プロテスタント)のドイツ人で、今は曹洞宗の住職をされているネルケ無方氏の著書「日本人に『宗教』は要らない」から、「第2の『オウム真理教』を生み出してはいけない」という文章をご紹介いたします。

オウム真理教事件

1980年代末期から1990年代中期にかけて、オウム真理教が起こした一連の事件は、日本の仏教界にも衝撃を与えた。オウム真理教のようなカルト教団に優秀な若い人たちが流れたことはとても残念である。そしてそれは、彼らの受け皿が日本仏教になかったということにほかならない。

生き方に悩む若者の受け皿

もし、彼らがどこかの仏門を叩いて、そこでまっとうな仏教を教えてくれる師匠と出会っていれば・・・。現在でも、生き方に悩む若者たちが様々な新興宗教に入信している。「如何に生きるべきか」という問いを若者たちが持っていても、既存のお寺へ行きにくいのが日本の現状である。曹洞宗もそういった人たちを受け入れる土壌があるとは、決して言えない。

広く門戸を開くべきだった

オウム真理教の事件は、日本仏教界が直接関与したわけではないが、あまりに関わらなかったからこそ起きた事件なのではないか。もっと早い段階で、「日本にも本当の仏教はある。生き方を考えるならこういう実践がある」と、広く門戸を開くべきだった。「坐禅をするなら曹洞宗がある」「念仏を唱えるなら浄土真宗がある」「密教に興味があるなら、オウムに入信する必要はない。チベットまで行かなくとも、日本には真言宗がある」と、日本仏教が若者たちの受け皿となり得たはずだ。

お寺は選択肢にすらなっていない現状

しかし現在、坐禅会を開いても、参加者は50代以上の方が多い。もちろん中高年が参加できる場所も必要だが、20代、30代の若者、ましてやかつての私のように理屈っぽい人間が行けるようなお寺はなかなかない。悩んでいる若者が「どこへ行ったらいいのか」と考えたとき、その選択肢にすら、既存のお寺は入っていない。悲しいことだ。

日常から抜け落ちた時

日本人の多くは、仏教に関して基礎知識があまりない。日常生活の中で禅の教えを実践し、宗教心を持って暮らしているのが日本人であるが、その日常から抜け落ちたときが危ないのではないか。日常から抜け落ちた人たちと苦悩をともにする。日本の仏教界がその役割を担うために動き出すときではないだろうか。(本からの引用は以上です。)

日本人の心を強める働き

自己中心を退けて、神様を中心にして生きるという日本人の日常をもっと強める必要があると私は思います。日常から抜け落ち、悩む若者たちにどう生きたら良いのかを明確に示せる大人がもっといて欲しい。良心の声、神様の声をかき消すような思想やカルト宗教はいつの時代にもあるのかもしれません。「それはおかしい」とすぐに判断できるような良識を強める必要があると私は思います。しかし、禅の悟りや仏法は難しいと考える人も多いのではないでしょうか。ただ、自己中心を退け、神様を中心にして生きる。子供でも分かることですが、ここに全てがあると私は思います。「日本人の信仰と聖書について考える会」のメッセージを全ての日本人にお届けできるよう、皆様のご協力もよろしくお願いいたします。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書を読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録です。また、日本人の良識の源泉でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるという日本人の心を強めるためにも聖書を読んで参考にしていただきたいと思います。

新約聖書 マタイの福音書 17章1~8節

それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿(みすがた)が変わり、御顔(みかお)は太陽のように輝き、御衣(みころも)は光のように白くなった。

しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ。モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。

弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

3人の弟子たちが見た幻

神様は3人の弟子たちに幻を見せたのだと思います。私自身、そんな経験はないので、そういうことは絶対にあるとは言えませんが、ないとも言えないと思っています。モーセもエリヤもイスラエルの先祖たちに神様の言葉を語った預言者です。彼らの教えを否定して、イエスは新しい宗教を始めたのではないということが、この幻から分かると思います。

自己中心を退け、神様を中心にして生きる

モーセとエリヤが間違っていたのではなく、イスラエルの先祖たちがその教えを固定化し、宗教にしてしまったことが間違いだったのだと思います。自己中心を退けて、神様を中心にして生きること。それが人間の生きる意味であり、尊厳であり、全ての問題の解決であり、救いだと思います。それがイエスが教えたことであり、モーセとエリヤが教えたことであり、日本人の心だと思っています。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しております。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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