【日本人と日本文化】「仕事」と「余暇」の線引きがない日本人

乾杯

「日本人と日本文化」の特徴について、ドイツ人の住職ネルケ無方氏の著書「日本人に『宗教』は要らない」からご紹介いたします。

日本人の仕事観

日本では職場での雑用も社員が行う。大手企業では掃除業者が入るところもあるが、中小企業では社員が自分たちで掃除する。そうすることに日本人はあまり抵抗感がない。掃除などの雑用すべてを含んだものが仕事だという捉え方をしている。

お金のためだけではない日本人

日本人は、会社に勤めることを労働だけと割り切ってはいない。自分の労働時間の対価として給料をもらうだけではなく、「会社」というひとつの家族の一員であるようなイメージを持っているはずだ。だから、社員同士で話をシェアすることを大事にし、仕事が終わったあとの付き合いも大事にする。忘年会も必須行事だ。西洋人の感覚からすると、とても不思議だ。

ドイツ人の仕事観

ドイツ人は仕事が終わったら、同僚の顔は見たくないと思う。日本人は仕事と余暇の境界線を厳密に引かないが、ドイツ人はきっちり線を引き、仕事をなるべく早く、効率的に終わらせようとする。ドイツ人は早く家に帰って、余暇を楽しむために一所懸命働く。

生活全体がつながっている

日本人が仕事と余暇に線を引こうとしないのは、生活全体がつながっているという感覚があるからではないか。そもそも最初から「雑用」という概念もないはずである。会社と家の境界線も曖昧だ。これは、日本人の自然観や神道からも影響を受けているのかもしれない。(中略)

宗教のようなものかもしれない

こうして見ると、日本人にとって仕事とは宗教のようなものかもしれない。会社は教会で、社員は教徒で、ひとつの共同体をつくっている。家に帰っても、教徒だから会社や仕事のことを考えてしまう。サービス残業をする、無給にも関わらず自宅で仕事をする。休暇中でも仕事のメールをチェックする人は多い。ドイツ人は、そのような休みが台無しになる行為は絶対にしない。(本からの引用は以上です。)

生活全てが信仰

なかなか面白い指摘だと思いますし、私は日本人として本当にその通りだと思いました。「日本人にとって仕事とは宗教のようなものかもしれない」とネルケ氏は指摘していますが、仕事だけではなく、日本人にとっては生活の全てが信仰のようなものなのかもしれません。確かに私たちの生活の全ては神様の前にある訳ですから、それは正しいことだと思います。益々そのことを意識して、神様を中心にして生きる事が大切ではないでしょうか。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、日本人の生活もここから来ていると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の生き方を確認するためにも聖書を読んでみていただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 18章11~14節

人の子は、失われている者を救うために来たのです。あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶ

「誰が一番偉いのか」という質問を受け、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、「この子どものように、自分を低くする者が、神様を中心にする世界では一番偉い人だ」と教えました。続いて語られたのが今日のたとえ話です。ポイントは「その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶ」ということではないでしょうか。

それは神様の心

良く考えてみると、本当に九十九匹の羊を山に残して、迷い出た一匹を捜しに行くでしょうか。行くかもしれないし、見つかったら喜ぶかもしれませんが、九十九匹を危険にさらしてまで本当に行くのかな、どうなのかなと思いました。しかし、そんな人間の考えではなく、神様を中心にするなら、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのは当たり前ではないかとイエスは言っているように感じます。それが神様の心だということではないでしょうか。

ただただ神様を中心にして生きる幸い

どんなに優れた実績を残せたかということではなく、どれだけ多くの人たちから称賛を得たかということでもなく、またどれだけ多くの財産を残したかということでもない。たとえ誰から認められるということがなかったとしても、神様を中心にして生きたら、それで良い。それは迷わなかった九十九匹の羊以上なのだとイエスは教えたのではないでしょうか。それほどに神様の目から見るなら、神様を中心にして生きることは尊いことだということなのだと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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