先週、「キリスト祭」に参加するために青森県新郷村を訪問しましたが、その途中、早朝のサービスエリアで見かけた出来事です。これから野球の試合に出かけるユニフォーム姿の小学生たちが分乗していた何台かの車から降りて来ました。
監督に挨拶に来る子供たち
トイレの前に監督と思しき男性がおり、ユニフォーム姿の子供たちは車を降りると、それぞれその男性の前に来て、帽子を取り、頭をペコンと下げ、「おはようございます」と挨拶をすると、そのまま車に戻る子もいれば、トイレに行く子もいました。
日本の体育会系の伝統
野球の技術的な指導だけでなく、このように礼儀作法も教えるのは、日本独特のことなのだろうと思いながら、私はこの光景を見ていました。日本の体育会系の活動では特にこのような礼儀は重んじられているのではないでしょうか。それは日本の伝統でもあり、大人も指導するでしょうし、また先輩から後輩へと受け継がれているものもあるだろうと思います。
ただ一つ気になったこと
それはそれで私は良い事だと思います。このようにして日本人の高い国民性は育まれているのだろうと思います。ただ、一つ気になったことがあります。それはこの監督と思しき男性の態度です。子供たちが男性の前にやって来ては挨拶をしているにも関わらず、子供達に対しては全く挨拶することはありませんでした。それどころか全く無視しているかのような様子でふんぞり返ったままでした。
改めたい伝統
日本ではこのような光景も決して珍しいことではないと思います。もし、これが日本の伝統だとすれば、このような伝統は改めなければならないと思います。大人自らが正しい振る舞いを模範として子供たちに示すことは大切なことだと私は思います。ましてや子供達に野球を指導する者であるなら、人間としてあるべき姿も模範として示すことが大事ではないかと思いました。それでこそ日本人ではないでしょうか。
神様を中心とする
この男性も、他の保護者がやって来ると、今度は何かペコペコと頭を下げていましたが、その対照的な姿にがっかりしました。これは神様を中心とした日本人のあるべき姿ではないと思いました。
聖書を読みましょう
大切なことは自己中心を退けて、神様を中心にして生きることであり、そのような日本人のあるべき姿を大人が子供達に示すことは大切なことではないかと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人のあるべき姿を示しているものだと思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きる日本人として聖書を読んでいただきたいと思っています。
新約聖書 マタイの福音書 20章29~34節
彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と叫び立てた。
すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。
ダビデの子
「ダビデの子」とはユダヤ人が太古の昔から待ち望んでいた「メシヤ」のことです。「メシヤ」はダビデの子孫から生まれると預言されていたのです。また、「メシヤ」とは神様から特別な権威を与えられた者という意味です。このふたりの盲人はイエスこそ神様からのメシヤだということで、あわれみを求めたということだと思います。それは自分の考えや思いを中心にすることではなく、神様を中心にすること、自分に期待することではなく、神様に期待することに他ならないと思います。彼らは周りの人からたしなめられてもイエスを叫び求めことを決して止めませんでした。
何をしてほしいのか
イエスはその声に足を止め、彼らを呼びました。「何をしてほしいのか。」二人は即座に「目をあけていただきたい」と言いました。それは人間的には考えられないことだと思いますが、彼らは神様には出来ると期待したのでしょうし、イエスを通してそのような超自然的な力が働くと期待したのだと思います。
神様の希望
彼らは二人ともその場で見えるようになり、イエスについて行きました。それは神様による超自然的な奇跡的な出来事だと思います。神様を中心にするとは、人間の限界を中心にして絶望することではなく、全能の神様を中心にして希望を持つことでもあると私は思います。
いかがでしたか
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