【人生の目的】神様を中心にする9つの言葉

ジェンツーペンギン

人生の目的であり、幸いな人生の秘訣は、自己中心を退けて、神様を中心にして生きること。それは具体的にはどういうことでしょうか。それは何か特定の宗教を信仰することではなく、それぞれの人生の中で深めるものだと思いますが、今日は「あなたの毎日を輝かせる9つのことば」という記事をご紹介いたします。

1. 自分の短所を、人の長所とくらべない

「十人十色。人それぞれ得意なものもあれば、不得意なものもある。人のものさしで、自分を計らない。あなたの良いところは、唯一無二。」とありました。だいたい自分の短所と人の長所では勝負になりません。でも、やりがちですね。神様がそれぞれに与えた長所を神様のため、人のために使いましょう。それが神様を中心にすることだと思います。

2. 本当の人生は、安全地帯の外に広がっている

「居心地の良い場所にいつまでもいると、何も新しいものに出会えない、得られない。片足だけでも、未知の領域に踏みこんでみたら?」チャレンジもまた神様を中心にすること。自分で勝手に制限を設けないようにしましょう。

3. 完ぺき主義者の人よりも「とにかくやった人」の方が報われる

「『完ぺき』は、永遠に辿りつけない蜃気楼。それよりも、走りながらフィードバックをもらって改善。」行動しなければ始まりません。一歩踏み出すと、違う風景が見えて来るもの。それが神様を中心とすること。

4. 喜べば、分かちあえる。嘆けば、一人ぼっち

嘆いても神様は一緒にいてくれると思いますが、いつまでも嘆いていてはいけませんね。「喜ぶこと」それは感情ではなく、決断かな。それが神様を中心にすること。

5. 配られたカードは変えられない。どうやって手持ちのカードで楽しむか考えよう

ないものをいつまでも夢見ていても始まらないですね。必要なものは全て神様が与えてくれています。あとは神様の前に出来る事をすれば良いのでしょう。それ以上のことを神様が要求するはずもありません。それが神様を中心にすること。

6. 成功にむかう唯一の方法は、はじめにたくさん失敗すること

失敗?神様を中心に考えるなら、失敗なんてないと私は思います。それは経験値と呼ぶのだと思います。

7. 「まわり」を変えようとするよりも「自分」を変えようとするほうが賢い

神様の前に問われているのは「自分」ですね。まわりも変えられない訳でもないと思いますが、自分を変える方が、ずっと「賢い」ですね。

8. 「『だれか』あれを解決しないのかな」と思ったとき、私がその『だれか』であると気がつく

それが神様の声なき声でしょう。神様はあなたの心に語り掛けているのです。

9. 「生活」は、得るもので成りたつ。「人生」は、与えるもので成りたつ

「自分のことだけ考えている人生は、さみしい。あなたは今日、だれかのことを想いましたか?だれかに尽くしましたか?だれかに喜ばれましたか?与える喜びを噛みしめましたか?」とありました。それが神様を中心にする生き方だと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心に触れるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 25章1~13節

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。

花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』

しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。

そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

目をさましていなさい

「世の終わりはいつくるのか」、「その前兆は何か」という弟子たちの質問に答えたイエスの言葉の続きです。ポイントは「こういうことにならないように。目をさましていなさい。その日、その時は分からないのだから」ということでしょう。

その日、その時を知らないからです

「目をさましている」というのは、いつも神様を意識し、神様の思いや願いを中心とした生活をすることだと思います。確かに、そのような生活が誰にも認められないし、その成果も感じられないということもあるかもしれません。それが報われる日や時は誰にも分からないのです。でも、必ずそのことが明らかになる時が来ます。だから、気力を失わないで、途中であきらめないで、自己中心を退け、神様を中心としてください。イエスはそう言って、弟子たちを励ましたのだと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。大変申し訳ありませんが、来週の日曜日からは「人生の目的」は基本的にはお休みさせていただきます。(良い内容がある時は書きます。)週に1日、日曜日はお休みすることにしました。これまで「人生の目的」を楽しみにして読んでくださっている皆さん、本当に申し訳ありません。引き続き月曜日から土曜日までは毎日ブログを更新しますので、読んでいただければ幸いです。どうぞご了承ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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