【日本人と日本文化】世界に誇れる日本人の「清潔意識」

重ねられた皿

日本人の文化がいかに世界的に見ると卓越しているのかということについて、もう一年以上も調べて、こうしてブログに書いてきましたので、ある程度は私も理解しているつもりでしたが、この方の本を読むと、まだまだ表面的にしか理解していなかったなあと思わされます。日本在住24年(執筆当時)、日本企業に勤務するハワイ出身のアメリカ人、ルース・ジャーマン・白石さんの「日本人が世界に誇れる33のこと」という本からご紹介いたします。

ハワイのレストランでの出来事

長男が二歳のときのこと。里帰り先のハワイでブランチを食べていました。さて、気持ちよく食事を終え、子供の散らかしたテーブルを整え、お皿を重ねていると、それまでざわざわしていたレストランが、突然静まり返りました。ふと周囲を見回して、ほかのお客たちやウェイトレスの視線を浴びていることに気がつきました。

日本の「常識」と世界の「常識」の差

ウェイトレスがやってきて、こう言います。「十年間ウェイトレスをやっているが、自分たちで後片付けをしているお客様は初めて!Great!」「日本では普通ですよ。大丈夫、こちらでやります!」このやり取りが日本の「常識」と、世界の「常識」の差なのです。

他への気配り

海外のどの国に行っても、日本ほどの「清潔感」を保っている街はとても少ない気がします。海外のホテルのフィットネスなどに行くと、ときどきスリッパがなければ床を踏みたくないときがあります。見た目がよくても、不潔に感じる場所がたくさんあります。それは日本以外の国では、他の利用者のために気配りをする、ということがほとんどないからです。

人に迷惑をかけないように

清潔な施設を維持するには、施設の責任者や担当者だけでなく、利用者一人ひとりの協力がないとできないことです。究極の「気遣い」は傘だと思います。雨で濡れた傘をハンカチで拭いてから畳むなどという行為を、日本以外のところでは見たことがありません。電車が込み合っているとき、濡れた傘がまわりの人に触れて迷惑をかけたくない、という気持ちなのでしょう。

気遣い、おもてなし

清潔感へのこだわりは、日本人ほぼ全員が共有している「気遣いやおもてなし」の精神です。日本の誇るべきものは、伝統や歴史だけでなく、あらゆる場所で習慣化した「清潔な気遣い」と「衛生的なおもてなし」なのです。(本からの抜粋引用は以上です。)

聖書を読みましょう

日本人が太古の昔から引き継いで来た清潔への意識、他人への配慮というものは、古代イスラエル系渡来人、聖書の信仰に遡ることができると思います。日本が世界に合わせるのではなく、日本の基準が世界の基準となるようにすることが大切だと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたイスラエルの歴史であり、日本人のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読むことが大切だと思います。

新約聖書 マルコによる福音書 6章45~56節

それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。

夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。ところが逆風が吹いたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。

彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。

そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。

彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。

そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

しいて弟子たちを舟に乗せるイエス

宣教の訓練から戻った弟子たちをイエスは休ませたいと考えていましたが、多くの群衆が集まってしまったので、休む暇もありませんでした。イエスは群衆の食事の提供が終わるのを見計らって、弟子たちを「しいて」舟に乗せ、イエス一人を残して、弟子たちを去らせました。なんと優しい心遣いではないかと思いました。

それはたとえなのか事実なのか

ここにはイエスが海(ガリラヤ湖)の上を歩いたこと、病人を癒したことが記されています。それは事実の記録なのか、それとも何かのたとえなのか。少なくとも、それはたとえだとは聖書には書いてありません。イエスが海の上を歩くということが、何かの教えを伝えていると考えることもできるかもしれませんが、聖書にはそうだとも書いてはありません。

現実に働かれる神様の力

どのように受け止めるかは、それぞれの判断だと思いますが、私自身は事実の記録ではないかと思っています。聖書にはイエスを通して数々の超自然的な出来事が行われた事が記されていますが、それは天地万物を創造した神様の力がイエスを通して働いていたことを示しているのではないかと私は思っています。神様は人間の頭の中の考えではなく、目には見えませんが、確かに生きて働いている存在だと私は思っています。だから私は絶望しない。神様がおられるから。それが太古の昔からの日本人の信仰であり、イスラエルの信仰であり、聖書の信仰ではないでしょうか。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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