【日本とイスラエル】琉球の「看過」とユダヤの「過越」

小羊

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビとして、日本で10年以上過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

過越の祭

ユダヤ人には、古くから「過越の祭」と呼ばれる風習がある。これは聖書の「出エジプト記」に起源を持つもので、今から三千年以上前にエジプトで奴隷だったイスラエル民族が、モーセの指揮のもとエジプトを脱出した出来事を覚えるものである。

過越の出来事

エジプトを脱出する夜、すべての家庭の長男が死ぬという災禍がエジプトの国に下ったとき、ただイスラエル人の家庭だけはその災いが「過ぎ越した」というものである。イスラエル人は、その災いが来る前に、神の命令によって小羊をほふり(殺し)、その血を家の門口に塗っていた。その血の塗ってある家庭は、さばきの天使がそこを過ぎ越したのである。イスラエル人は、ほふったその小羊をその夜、焼いて食した。

よく似た風習

これによく似た風習が、日本の琉球地方(南西諸島)に今も伝わっている。中田重治は、琉球地方には「看過」と呼ばれる、牛をほふってその血を家の門口に塗る厄祓いの風習があると書いていた。このとき羊ではなく牛が用いられたのは、日本には羊がいなかったからであると、中田は考えていた。

確かにその風習がある

私は、日本人の友人の助けを借りて、この「看過」の風習について沖縄の教育委員会や町史編集委員会に問い合わせしてみた。すると事実、古くから「看過」あるいは「シマクサラシ」(厄祓いの意)と呼ばれる風習があるという。

その内容も大変よく似ている

これは災厄を家や村に入れないために、牛をほふり、その血を家の門口や四隅、村の入口等に塗るというものである。その牛は、その日、焼いて皆で食された。これはまさに、ユダヤの過越の風習を思い起こさせる。ちなみに「看過」という日本語は、見過ごす、見逃すの意味で、過越と同じ意味である。

だいたい時期も同じ

「看過」の風習は今日も行われている。ただし今日は、牛ではなく、豚を使用している町が多い。「どうして豚を?」と聞くと、昔、牛を殺すことを禁じる禁止令が出たので、豚に変えたという。また看過の風習は、おもに旧暦の二月初旬、および八月初旬などに行われてる(年二~三回)。旧暦の二月というのは春であり、新暦では三~四月にあたるから、ユダヤの過越の祭と大体同時期であることも興味深いことである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

ここまで似ていると、とても偶然では片づけられないと思います。日本とイスラエルの関係を示す証拠の一つだと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人のルーツだと思います。キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 14章10~16節

ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。

除酵祭(じょこうさい)の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。

そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。

するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。

イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダはどうしてイエスを裏切ろうと思ったのか書いてないので、私には分かりませんが、もしかしたらイエスはユダが考えていたようなメシヤではなかったのかもしれません。ユダはイエスに落胆したのかもしれません。しかし、だからと言ってイエスを裏切ることは正しいことではないのは明らかだと思います。それは自己中心だと思います。

除酵祭

除酵祭とはパン種を取り除くという意味で、エジプトを脱出する夜、パンを発酵させる暇もなく出発したことを覚えて、過越の祭ではパン種の入っていないパンを食べます。このような過越の食事をユダヤ人は現代でも守っています。

神様はイスラエルをエジプトから救った

ここにはイエスと弟子たちも過越の食事をする場所を用意したことが記されています。それは神様の介入によって、エジプトの奴隷状態からイスラエルの人々が救い出されたことを思い起こすお祭りです。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

本をお求めください

本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。電子版は800円。文庫版は2,182円です。日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、お読みください。詳しくはこちらをご覧ください。

目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA