【日本人と日本文化】国民の資質が高い日本

手を合わせる

「日本に18年間住んでみて、日本が好きだという感情はいまも変わっていません」と語るのは、中国から日本に帰化した中方建治(なかがたけんじ)さん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

国民の資質

私が考える国民の資質の基準は、礼儀正しさや道徳水準はどうか、秩序や公正さを重んじるかということです。また、社会ルールを守るかどうかです。例えば、分かりやすい例として、日本では交通ルールが守られているのが普通ですが、中国では日常的に交通ルールが守られていないのです。

国の発展

こうした意識の差が、国として発展するか、遅れてしまうかの差になって現れます。中国では、そうした精神的な文明の程度が、最近の経済水準や生活水準の上昇に伴って高くなっていない、追い付いていないのです。

かなり優れている日本

人間はどこの国の人でも、良い環境に住みたいと思っています。所得が高ければいいというだけでなく、安全だとか、環境がいいだとか、秩序や精神衛生の面も大切です。日本はこれらの点で、中国と比較するとかなり優れていると思います。

公平な環境

また、子供を育てる場合、その能力を伸ばしてやるためには公平な環境が必要です。親が有力者だから子供が優遇されるようでは困ります。中国では手厚い扱いを受けるのは金持ちか地位のある人間、または関係者であることが多いのです。能力があっても人脈がなければ必ずしも重用されないという傾向があります。

平等な日本人

こうした感覚や習慣は社会の至るところに蔓延していて、人々は麻痺している感じさえあります。日本人は地位や人脈といった前提なしで平等に人を処遇しようとするところがいいと思います。

一般人の高い親切心

最後に、いまから十数年前、東京の大学院を卒業する前に妻と共に正月休みに京都、大阪など関西を旅行したときのことを話しましょう。神戸で五十過ぎと二十過ぎの父娘に道を尋ねたのがきっかけで、二人は見知らぬ私たち夫婦と終日タクシーを使って神戸観光に回ってくれたのです。これも、一般の民間人の親切心が高いためにできる行為ではなかったかと強く感じました。

国民的な財産

自分の国を良い国にすることは容易いことではありません。それには永い年月がかかります。国民全体のレベルが高くなる必要があります。日本人はこの国民的な財産の貴重なことを重く受け止め、大切にしてほしいと切に思います。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それは自己中心を退け、神様を中心にして生きることを重んじる日本人の伝統から来るものではないかと私は思っています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の生き方の原点でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 6章20~26節

そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、

「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。
神の国はあなたがたのものである。

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。
飽き足りるようになるからである。

あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。
笑うようになるからである。

人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。
慰めを受けてしまっているからである。

あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。
飢えるようになるからである。

あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。

人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

本当の幸い

イエスはここで本当の幸いとは何かについて教えているのではないでしょうか。貧しいことは必ずしも不幸とは言えません。イエスはむしろ幸いだと教えています。「神の国」とは、神様を中心にして生きる幸いな人生のことだと思います。いくら貧しくても、神様を中心にして生きることはできるのではないでしょうか。

飽き足りるようになる

飢えている人は飽き足りるようになるから幸いだとイエスは教えました。人には期待できないかもしれませんが、神様に期待することはできると思います。それが神様を中心にすることではないでしょうか。

笑うようになる

いま泣いている人は笑うようになるから幸いだとイエスは教えました。悲しい出来事、涙を通して、神様を中心にして生きる幸いを知るようになるということは大いにあることだと思います。

神様を中心にする幸い

「人の子」とは、旧約の預言者たちが預言したメシヤのことであり、人々を人間中心から神中心へと立ち返らせる者のことだと思います。神様を中心にして生きるがゆえにののしられるということもあるかもしれません。しかし、それはむしろ喜びであることが教えられています。

わざわい

しかし、富んでいること、満腹していること、笑っていること、ほめられることは、むしろ災いだと教えられています。そのこと自体に満足してしまう危険性があるからでしょうか。最も大切なこと、神様の前で本当に価値あること、それは自己中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きていることだと思います。そこに目を止めることが大切ではないでしょうか。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2018年2月2日(金)タピ大決定!

今回は「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係(3)~キャンピングカーで行く古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅」と題して、昨年の夏に訪問した石川県宝達町にある「モーゼの墓」、京都府丹後にある日本最古の神社の一つ「元伊勢籠(この)神社」のレポートを、道の駅情報などキャンピングカーの旅行の魅力を交えながらお伝えしたいと思います。お近くにお住いの方はぜひお出でください。参加費無料、予約も要りません。お待ちしております。詳しくはタピ大をご覧ください。

本をお求めください

本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。(Amazonのサイトはこちらです。)日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。

目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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