【日本とイスラエル】神武天皇の公式名

希望への道

日本とイスラエルに関連した事柄について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

日本の皇室とイスラエル十部族の王系との類似性

これ(天皇の存在)に関連して興味深いのは、先に述べたニニギとヤコブ、山幸彦とヨセフ、天皇家とエフライム族の類似性である(第8章)。日本の皇室と、イスラエル十部族の王系との間には、顕著な神話的類似性が存在していた。

神武天皇の公式名

また興味深いのは、日本の初代の天皇・神武天皇の公式名である。神武天皇は古事記や日本書紀において、「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」の公式名で呼ばれている。これには「神日本磐余彦天皇」とか「神倭伊波礼毘古命」等の漢字が当てはめられているが、この発音は漢字を中国から輸入する以前からあったものであって、漢字は当て字である。

ヘブル語としての解釈

「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」という呼び名は、日本語としてはこれといった意味がない。しかし、ヨセフ・アイデルバーグはこれにヘブル語解釈を施した。もし若干の訛りを考慮し、これをヘブル語として解釈すると、「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意味として読むことが可能だとしたのである。

ミステリーは尽きない

確かに、そう読もうと思えば読める。ただし、たとえそうだとしても、これは必ずしも神武天皇が実際にサマリヤの王、すなわちイスラエル十部族の王であったという意味にとる必要はない。むしろイスラエル十部族の王系の人々の日本への到来の記憶が、神武天皇の伝説の中に取り入れられた、ということなのかもしれない。日本には、十部族の王系の人々が来たのだろうか。ミステリーは尽きない。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史、文化、伝統、日本人の国民性に深い関係があると考えています。外国の宗教の教典としてではなく、日本人の心の原点を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 9章57~62節

道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。

またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。

またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。

三人とのやりとり

イエス・キリストと弟子たちの一行は十字架の死が待っているエルサレムに向かって進みました。その道すがら、ここには三人の人がイエスとやりとりをした言葉が記されています。実際にこのような三人とのやりとりがあったというより、様々なやりとりがあった中で、このような三人のエピソードを通して、イエス・キリストの教えを伝えようとしているのかもしれません。

ぶれない心

それはイエス・キリストに従って行く覚悟、神の国を告げひろめる働き、神の国にふさわしい姿勢について教えているように思います。決してイエス・キリストは父の葬儀を行ってはならないと教えたとか、別れを告げることも禁じたということではないと思います。自己中心、人間中心を退け、神を中心にして生きると心を決めて、ぶれないこと。それが大切なことではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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