日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
まるでソロモン王のようである
崇神天皇は120歳で崩御し、その後は垂仁天皇が位を継いだが、この天皇の生涯の物語を見ると、まるでソロモン王のようである。聖書にはノブという名の山は記されていないが、ベニヤミンの領地とエルサレムが接する地点に祭司の町ノブがあったと伝えている。
ノブの町
日本の伝承では、崇神天皇は畝傍山ではなく、ノブの近辺に葬られたと伝えている。ベニヤミン族の領地はユダ族の領地の北の端とエルサレムの神殿の丘で接している。神殿の一部だけがベニヤミンに属し、残りはユダに属している。ベニヤミンに属するノブの町はエルサレムに非常に近い場所にあった。
ダビデ王家の墓所
日本の伝承の証言は二重の重要性を持っている。というのは、今日に至るまでその場所が分かっていないダビデ王家諸王の墓所がどこにあるのかを示唆しているからである。ダビデ王はノブの町と特別な深い関係があったので、おそらくダビデ家の王たちはノブに葬られたのではないか。
神のお告げ
同じ日本資料に従えば、垂仁天皇はソロモン王と同様、もし神の道を歩むなら長寿をもって祝福されるというお告げを夢で受ける。ソロモン王に関して聖書は次のように語っている。
その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。・・・「わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。
武器を奉納した垂仁天皇
しかし何より驚かされるのは、日本書記によれば、垂仁天皇は武器を神々に奉納しているということである。というのも、全く同じことが旧約聖書列王記上でも語られているのである。
ソロモン王は延金の大盾二百を作った。大盾一つにつき用いた金は六百シェケルであった。延金の小盾も三百作った。小盾一つにつき用いた金は三マネであった。王はこれらの盾を「レバノンの森の家」に置いた。
黄金の盾
もちろんソロモン王がこれらの黄金の盾を兵士たちのために作ったとは考えにくい。黄金は高価であるというだけでなく、柔らかい金属で、兵士たちを守ることにはならないからである。おそらくソロモンは、これらの盾をお守りとして、または彼に恵みを垂れて下さった神への感謝の意味を込めて「レバノンの森」にある宮殿に掛けたのであろう。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 マタイによる福音書 19章13~22節
そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。
すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。父と母を敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
永遠の生命とは
「永遠の生命」とは何のことを言っているのでしょうか。「もし命に入りたいと思うなら」とイエスは言っています。それは単にこの地上の人生を生きることを越えた、神の前に本当にこれで良いと言える生き方ということを指して言っているのではないでしょうか。
よいこと、よいかた
どんな良い事をしたら、そういう生き方ができるのでしょうか。しかし、イエスは「よいかたはただひとり」だと答えています。それは神のことを言っているのでしょう。単に良い事をするのではなく、神の前にどう生きているのかということが重要だということではないでしょうか。
何が足りないのでしょう
モーセの律法は守ってきた。それでもまだ何か足りないと感じたのでしょう。つまり、本当に神の願い、神の思いを中心とした生き方にはなっていなかったということではないでしょうか。この青年の場合、それは大きな資産が障害になっていたのかもしれません。それが中心になってしまい、神の座を奪っていたのではないでしょうか。必ずしも資産を持ってはいけないということではないと思いますが、それが神の代わりになってしまうと問題だと思います。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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