【日本とイスラエル】景行天皇とイスラエル

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

景行天皇

垂仁天皇の王子である景行天皇は28年間皇位にあったが、この時代大和政権の支配は一部の地域で弱まった。「景行天皇」の「ケイコウ」は、アラム語で「カイー・ハカー」、つまり「ここに立つ」、または「ここに生きる」と訳せる。

士師時代

しかしイスラエル史の士師記時代後半から王国時代初期のサウル、ダビデ、ソロモン時代において、この「景行天皇」の名前の意味に近い名前を持つ王は見当らない。日本書紀に記録された景行天皇の行い、そして彼が活躍した時代の描写はイスラエル史の士師時代になぞらえることができるかもしれない。またこれらの出来事に関わっている諸部族の名前や出来事が起きた場所の名前の音はイスラエルの地で良く知られた名前に似ている。

ヘブライ語の発音を持つ皇室

景行天皇は紀元前後数百年の間に日本を実際に支配した天皇であることはあきらかである一方、日本の歴史を書き残した者たちは、かつて約束の地イスラエルにまだいたころのイスラエルの指導者たちの行いをもそこに組み入れた。よって驚かされるのは、日本の天皇たち、また皇室の広範囲の人々の中に、ヘブライ語的な発音を持つ人々がとても多いということである。

ヤマトタケル

古事記と日本書記は敵と戦った三世代の天皇たちについて語っている。景行天皇とその息子は天皇に叛く諸部族に対する懲罰遠征を計画した。「蝦夷(エビス)」や「熊襲(クマソ)」の王たちを平定した武勲により、この息子は「ヤマトタケル」という名で呼ばれた。

「エビス」「クマソ」

彼が平定した諸部族の名前は聖書に登場する部族の名前を想起させる。「エビス」は、聖書の「イブス人」を思わせる。聖書によればイブス人はイスラエル諸部族の中に住み、長年イスラエルの民は彼らを平定することができなかった。「クマソ」(クム・アソ)は、イスラエルに敵するエサウの諸部族を指していると思われる。「カム」という単語はヘブライ語では「敵」を意味する。「エサウ」はヨルダン川の東側、赤色(アドム)がかったセイル山脈の地域、エドムの住民である。また「土蜘蛛(ツチグモ)」という敵も登場するが、これはヘブライ語で「ツヘイ・グモット」、つまり「乾いた穴」という意味になる。彼らは乾燥したエドム山脈の乾燥した穴に住む人々という意味である。

「ノボ」「アノト」「伊吹山」

景行天皇の時代、戦闘の舞台となった地名は「ノボ」(ノブ)、「アノト」(アナトテ)、「伊吹山」(ヤボク山)など、すべてイスラエルの地に存在する名称である。成務天皇の後は景行天皇の孫にあたる仲哀天皇が即位した。仲哀天皇は背丈が二メートル半もあったという。景行天皇の時代、まだまだ不安定だったヤマトの国の様子が日本書記には描かれているが、これは聖書の旧約聖書士師記に描かれている士師時代のイスラエルの様子と非常に似ている。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 19章23~30節

それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。

そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。

おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。

だれが救われるのか

「永遠の生命」「命にはいる」「天国」「神の国」「救われる」どうやらこれらの言葉は同じ意味で使われているようです。富んでいる者が天国に入れないとするなら、だれが入れるというのか。だれも入れないではないか。それが弟子たちの驚きだったと記されています。富んでいる者こそ神の祝福を受けている者であり、それが神の国だと弟子たちは考えていたのかもしれません。しかし、イエスは明らかにそのような考えを否定しています。それは神によるもの。つまり、神の願い、神の思い、神の計画、神の喜びに目を留めて生きること。それが永遠の生命であり、命に入ることであり、天国であり、神の国であり、救いだということではないでしょうか。

十二の部族をさばく

イスラエル十二部族の回復とそれを統治する者が誰かということをイエスは言っているようです。それは世が改まって、人の子、つまりメシヤが栄光の座につく時だとも言っています。しかし、多くの先だと思っていた者が後になり、後だと思っていたら、先になったりすることが起るとも言っています。人の考えと神の考えには大きな違いがあるということではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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