【日本とイスラエル】大碓命のヘブライ語的解釈

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

オオウスノミコト

景行天皇の皇子、大碓命(オオウスノミコト。ヘブライ語では「アハ・ウゾ」で「強い兄弟」の意味)は、その荒々しい性格と大胆さとで父親の心を悩ませたので、このような名前で呼ばれたのではないか。

エヒメとオトヒメ

ある時、景行天皇は美濃の国を治める神大根王(カムオホネノミコ。ヘブライ語で「カム・フー・アヒーヌー」とすれば「私たちの兄弟は立ち上がる」、「ガム・フー・アヒーヌー」であれば、「彼も我らの兄弟」という意味)に、エヒメ(アヒマ・ヤ)とオトヒメ(アット・アヒマ)という二人の美しい娘がいると聞いた。その美貌の噂を聞くと、天皇は彼女たちを宮中に召しいれるため、息子の「大碓命」を遣わした。

アヒマ

この二人の姉妹の名前の中には「アフ」(兄弟)という単語が含まれている。もしかすると遠い昔、双子の姉妹はヘブライ語で「アヒマ」と呼ばれていたのかもしれない。または「アヒー・マー」という単語が、かつては「姉妹」を意味する「アホット」と同義語で使われていたのかもしれない。今日のヘブライ語でその意味は特定できないが、明らかにこの単語の音はヘブライ語的である。

皇子の策略

ともかく、この勇猛な皇子、大碓命は使命を果たすべく出かけた。しかし、彼はこの姉妹の美しさを目にして彼女らを欲し、二人を自分の妻として娶り、父親には他の姉妹を、その名を偽って送り届けた。彼女らを迎えた天皇は彼女たちが本物ではないことを知り、皇子の策略を知った。

二人の息子

天皇は彼女たちを娶らず、また彼女たちが策略の片棒を担いだということで、生涯独身で過ごさせた。父を欺いた大碓命は二人の姉妹との間に息子をもうけるが、その名前は大碓命の最期を示唆するようである。エヒメに生ませた子は「オシグロノエヒコ」で、ヘブライ語では「イシー・カラーヌー・ヤー・ヒカー」で、「我が夫は主に呼ばれ、撃たれた」という意味になる。またオトヒメに生ませた子の名は「オシグロノオトヒコ」で、ヘブライ語では「イシー・カラーヌー・ヤー・ヒカー」、「我が夫は神に呼ばれ、あなたに撃たれた」という意味になる。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 20章29~34節

それから、彼らがエリコを出て行ったとき、大ぜいの群衆がイエスに従ってきた。すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。

群衆は彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます叫びつづけて言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。

イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。

主よ、ダビデの子よ

エルサレムに向かうイエスの一行の後には、大ぜいの群衆が従っていました。エリコという大きな町を後にした時、ふたりの盲人がイエスに向かって叫びました。黙らせようとしても、彼らは叫び続けました。「ダビデの子」とは、預言者たちが預言しているメシヤを指して言っていると思われます。ふたりの盲人はイエスの噂を聞いて、この人はメシヤであり、神の特別な権威を与えられた者と受け止めたのでしょう。

イエスに従って行った

イエスは「深くあわれんだ」とあります。イエスは何をあわれんだのでしょうか。目が見えないということでしょうか。イエスを必死に求める姿でしょうか。いずれにしてもふたりは神の力を求め、それはイエスを通して働くと考え、イエスはその通りのことをしてくれました。ふたりはそれで終わりではなく、イエスに従って行くことにしました。神の力を体験したからでしょう。それは私たちの現実の世界に生きて働く力です。人の思いではなく、この神に目を留めて生きることが大切だと思います。それは私たち日本人が太古の昔から大切にしてきた心です。この日本人の心をしっかりと取り戻し、現実世界を作り変える、この神に目を留めて歩むことが大切だと思います。

いかがでしたか

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10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

新刊「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(文庫版も好評発売中。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。

 

目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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