【日本とイスラエル】十支族ユダヤ「ニギハヤヒ族」

日本とイスラエルの関係について、友人が落合莞爾という方の著書を紹介してくれました。今日も彼の著書「天孫皇統になりすましたユダヤ十支族」からご紹介いたします。

ニギハヤヒ族

「十支族ユダヤ」の種族はセファルダム・ユダヤと思われますが、その一派のニギハヤヒ族は前三世紀~前二世紀ころに大阪湾に到来して河内湖(今の大阪市)周辺の陸地に定着し、土着の長臑彦(ながすねひこ)と縁戚関係を結んでいました。

ヤマト王朝に協力したニギハヤヒ族

前一世紀に東征してきたイハレ彦に抵抗する長臑彦を見限ったニギハヤヒの族長は、イハレ彦に投降してヤマト王朝の開基に協力します。イハレ彦が開いたヤマト王朝は初代神武天皇となるイハレ彦と、これに随従した天神(天津神(あまつかみ))の連合政権ですが、在地政権のニギハヤヒ族もこれに加わって政権内野党となりました。

「天神」としての待遇

アマテラスの直系子孫の「天孫」がヤマト王朝の皇統となり、それ以外は「天神」とされて朝廷を支える豪族となります。ニギハヤヒは高天原から降臨する「天孫」に随従したアマツ神の一人と見做されて、「天神」としての待遇を受けます。

尾張連

ヤマト王朝最大の謎は初期段階で登場する尾張連(おわりのむらじ)です。ホアカリの子孫として登場する尾張氏は、天孫ならばカバネが「臣」でなくてはならないのに、なぜか「連」です。尾張氏の出自として最も可能性の高いのはモノノベ氏です。

天孫系図に

ヤマト王権の創立に関わったニギハヤヒ族は、その功績で「見做し天神」に列せられたのですが、後年になり、「見做し天孫」の待遇を要求し、認められたものと推察されます。ただし、ニギハヤヒ自身ではなく、同族丹後アヤタチの祖神ホアカリを天孫ニニギの兄として天孫系図に〝接合〟することとなりました。

ホアカリの子孫とする

すなわち、・・・物部氏の分流の尾張氏を天孫家系にはめ込んで「疑似天孫」としたのです。その方法は、ヤマト王権(欠史八代王朝)に仕える「宮廷ユダヤ人」となった物部分流の尾張氏の先祖を、ニギハヤヒではなく、同族ホアカリの子孫としたのです。

天孫族への背乗り

系譜接合により天孫ニニギの兄とされた祖神ホアカリの直系子孫の尾張氏は、かくして疑似天孫となりました。つまり、尾張氏の天孫族への背乗りですが、ヤマト王権の了解のもとに行われたことは言うまでもありません。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は古代日本に渡来したイスラエル民族と日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 11章1~16節

さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。

姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。

イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。

弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。

そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。

するとイエスは、あからさまに彼に言われた、「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう」。

するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。

光の中を歩くとは

昼間であれば明るいから、つまずくことはないが、夜間は暗いのでつまずくとイエスは言っています。イエスの教えを光にたとえているのか、それとも神ご自身を光と言っているのかもしれません。生まれながらの人間中心の考えで生きるなら、それは神なしであり、あたかも闇の中を歩いているようなもの、なかなか思うように歩けません。大変危険でさえあります。しかし、光である神に立ち返り、常に神を中心にして生きるなら、決してつまずくことはない。問題がない訳ではありませんが、良く見えているので、適切に対応することができるようになります。光である神を中心にすることではないでしょうか。

ラザロの所へ

ラザロが病気であるという知らせを受けて、イエスはすぐにはかけつけませんでした。明らかに、あえて2日も時間を置いたようです。それは意地悪ではありません。イエスは彼らを愛していたと記されています。愛しているからこそ、すぐには駆けつけなかったということですが、いったいどういうことなのでしょうか。弟子たちも正しく理解していなかったようですが、イエスは「それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」と言っています。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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