日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
文字の教育
かつて日本に来たイスラエル十部族の子孫たちがそうであったように、十五世紀から十六世紀にかけて、読み書きは多くの人々の共通の財産となり、時には庶民や身分の低い者たちまでもが文字を学んだ。聖職者や一部の貴族が多くの人々を支配する道具としてこの大切な道具を独占していたヨーロッパとは異なり、日本では支配者自ら文字を広めたのである。
武家諸法度
朝廷や大名に仕えていた武士階級の人々には、その地位を守るために、読み書きと計算とが求められた。徳川家の将軍たちは、特に人々の教養を深めようと努力した。1615年、徳川幕府の二代目将軍徳川秀忠は父親の影響を受けて、武士階級の法令である「武家諸法度」を発布したが、その第一条には文学的素養を養い、高潔な振る舞いをすることと定められている。
教育への情熱
この時代、「啓蒙された」ヨーロッパで、家臣にこのような条例を守らせた君主はいない。武家の子弟のために公共の学校が建設されたが、その多くは神社仏閣に作られた。・・・彼らの兄弟であるユダ族、ベニヤミン族も離散の地ではシナゴーグ(礼拝所)や聖書学校がそのまま共同体の学校として使われた。・・・イスラエル民族がまだイスラエルの地に住み、エルサレムに神殿が建っていた時から、神殿が民族の精神的支柱であり、そこでレビ人が多くの人々にトーラー(律法)を教えてきた。イスラエル民族から分岐した二つの集団、日本に来た集団とバビロン捕囚から世界に広がった集団は、それぞれその遠い祖先から綿々とこの学習への情熱を受け継いできたのである。
文学、詩歌の発達
八世紀に古事記と日本書紀が発表されてから、おもに貴族たちの歴史を記した書物が出始めた。・・・この伝記文学はその後、高い価値を持つ文学作品に発展した。・・・散文に対し、多くの女性たちも作品を残してきた詩歌については、その主題に制限はつけられず、どのような主題も歌の題材となった。愛、風景、四季、空の鳥、別れ、裏切り、孤独、郷愁、そして人生の意味と目的とに対する思想などもある。
日本文学の豊かさ
日本の詩歌の特徴は、その短さと独特の韻律とにある。詩歌の多くは四~五行を超えることはないが、しかし詩人はその中に自分の感動と体験とを歌い、読者に伝えることができたのである。日本文学の表現能力や比喩表現の豊かさ、思想の深さは古典文学であれ近代文学であれ、西欧のどの時代の文学と比較しても名誉ある地位を得ることができるであろう。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 19章1~16節
そこでピラトは、イエスを捕え、むちで打たせた。兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、それから、その前に進み出て、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。そして平手でイエスを打ちつづけた。
するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」。
イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外に出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。
ユダヤ人たちは彼に答えた、「わたしたちには律法があります。その律法によれば、彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当る者です」。ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますますおそれ、もう一度官邸にはいってイエスに言った、「あなたは、もともと、どこからきたのか」。しかし、イエスはなんの答もなさらなかった。
そこでピラトは言った、「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。イエスは答えられた、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。
これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。
ピラトはこれらの言葉を聞いて、イエスを外へ引き出して行き、敷石(ヘブル語ではガバタ)という場所で裁判の席についた。その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。
ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。ピラトは彼らに言った、「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた、「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。
ローマ総督ピラトの葛藤
ピラトは何が正しいことなのか、その心で判断できていたのだと思います。しかし、十字架につけろと迫るユダヤ教のおもだった人々を前に、どちらに決めるか葛藤していたように思われます。しかし、彼は結局何に従ったのでしょうか。私たちもまたその良心で、何が正しいことなのか分かっているのではないでしょうか。もちろん、良心を誤魔化し続ければ、やがて良心も麻痺してしまい、神の声を聞くことができなくなってしまうでしょう。良心を研ぎ澄まし、神の声を聞き、一つ一つ従って歩むことこそが、本当に幸いな人生ではないでしょうか。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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