最近、ミュージシャンやアーチストのような特別な才能に恵まれた人々の意見を読んだり、聞いたりしたいと思うことがよくあります。PHPの4月号に南こうせつさんの文章があって、面白いなあという部分、そして共感する部分がありましたので一部ご紹介させていただきます。
イメージする
また、最近よく感じるのは、物がなくても人は幸せになれるということです。たとえば、僕は朝起きたら、「今日はどんな自分になろうかな」とイメージしています。「馬にまたがって海辺を颯爽と走る自分」とかね(笑)。すると、それだけでちょっとニヤッとしてしまいます。
わしゃ、知らん
一方で、いくらイメージしても、どうにもならないことがあるのも、これまた事実です。そんなときは、「やっぱり自分はダメだ・・・」と絶望するのではなく、「わしゃ、知らん」とか「なるようにしかならん」と流れに任せてしまうしかない。
自力と他力
「こうしたい」という想いと、「なるようにしかならない」と自分の運命を受け入れる心構え、つまり自力と他力、その両方を大切にしていくことで、人生を楽しむ力が身につくような気がします。(PHPからの引用は以上です。)
馬にまたがる自分
さすがアーチストですね。「馬にまたがって海辺を颯爽と走る自分」を朝にイメージするとは。イメージ力が違いますね。面白いですね。鳥になって、空から町を見下ろしている自分なんてどうでしょう?確かに爽快な気分になりますねえ。才能豊かな人の、こんなところを自分の刺激にしたいなあと思ったりしています。
神の御心
南こうせつさんは「自力と他力」と言っていますが、やっぱりこのような才能豊かな人もこう考えるのかと励まされます。私の言い方で言えば、神様の支配の中で、受け入れるべき現実はあると思います。人間中心ではなく、神様を中心にするとはそういうことだと私は思っています。でも、それはすべて神様に任せて、自分は何もしないということでもないと思っています。自分に委ねられていることは自分でやらなければなりません。でも、神様に委ねるべきことは神様に委ねなければならないでしょう。重要なのはその見極めでしょうか。線引きですね。経験と人生の年輪が必要になってくるのではないかと思います。南こうせつさんも今年70歳だそうです。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。キリスト教の教典としてではなく、キリスト教の教えとしてでもなく、生きることについて考えを巡らせるために聖書を読んでみてください。役に立つと思います。聖書は古代日本にすでに伝えれ、日本人の国民性に大きな影響を与えています。聖書の信仰は欧米のキリスト教より、むしろ日本人の心にこそ引き継がれていると感じます。
新約聖書 ヨハネによる福音書 21章15~25節
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である。
ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるのか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。
こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった。しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである。
これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である。そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている。イエスのなさったことは、このほかにもまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。
私を愛するか
イエスはペテロに三度も尋ねました。ペテロは心を痛めたとありますが、ほんの数日前にはイエスを知らないと三度もペテロは言ったのです。もしかしたら、その心の傷を回復させるために、三度、口に出して「愛する」と言わせたのかもしれません。頭の中で思い巡らせるだけでなく、口に出して言うこともまた大切なのかもしれません。
わたしに従ってきなさい
ペテロもまた人のことが気になったのでしょうか。ペテロに与えられた使命は困難が伴うものでした。それでもイエスの教えに従うこと。他の人がどうであるかは重要ではありません。それぞれに生き方、行き方があるのだと思います。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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