2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日は沖縄の塩と酒を神様に供える風習について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。
供え物は塩と酒を添えて捧げる
沖縄では、神事やお祭りにおける神への供え物には、必ず塩と酒(供え物の酒は神酒(みき)という)が添えて供えられる。神前の供え物には、塩と酒は、欠かせないものとされている(神道も同じ)。
宮古島のパーントゥ・プナハ
例えば、宮古島の島尻で行なわれるパーントゥ・プナハは、有名であるが、パーントゥが登場する前に、島尻にある4つの里(サトゥ)で、塩と酒を用いて、神前に供え物をし、儀礼を執行する(「島尻のパーントゥ調査報告書」平良市教育委員会)。
聖書の記述との関連
実は、このような塩と酒を供え物に添えて捧げる風習も、非常にユダヤ的なのである。
まずは塩について述べるが、神前に供え物をする時は、器に塩を盛って添える。また料理店などでも、客を招く縁起として、入り口に少量の塩を盛る風習(盛り塩)がある。そして神への供え物に、塩を添えるのは、イスラエルにおいて古代からの風習である。
「あなたの捧げ物には、いつでも塩を添えて捧げなければならない(新改訳)」(レビ2:13)。
古代イスラエルにおいても、沖縄と同様に、人々は神前の供え物に必ず塩を添えたのである。
またタルムード(ユダヤ教の経典)にも、すべての供え物や犠牲の供え物に、塩を欠かしてはならないと記されている。塩によって供え物を清めるためである。
酒について
また酒については、小さな器に入れたり、数滴たらしたり、あるいは注いだりする。これも古代イスラエルからの風習であり、聖書にこう記されている。
「その注ぎのささげ物はぶどう酒で、一ヒンの四分の一である(新改訳)」(レビ23:13)。
ぶどう酒は、英語でワインと言うが、泡盛のことは、英語で「ライスワイン」という(日本酒も同じ)。つまり泡盛は、ワインである。材料がブドウではなくお米だが、材料が違ってもワインなのである。
このような風習は、沖縄古来のものである。今では、神仏習合(宗教のチャンプルー)が進んで、仏教的なものと勘違いしている人々もいるかもしれないが、本来の仏教では、このようなことは行なわない。また、このような風習は欧米諸国にも見当たらないのである。ところが古くから沖縄では、このようなことが行なわれてきた。
沖縄と古代イスラエルの風習
私たちは聖書を読む時、この風習が今から3,000年以上も前に、古代イスラエルで行なわれていたものと同じであることが分かる。これは驚くべきことである。塩についても、酒についても、これは古代イスラエルの風習そのままなのである。(ブログからの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄人、日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心の原点を知るために聖書を開いてみてください。
新約聖書 使徒行伝 23章16~22節
ところが、パウロの姉妹の子が、このことを耳にし、兵営にはいって行って、パウロにそれを知らせた。そこでパウロは、百卒長のひとりを呼んで言った、「この若者を千卒長のところに連れて行ってください。何か報告することがあるようですから」。
この百卒長は若者を連れて行き、千卒長に引きあわせて言った、「囚人のパウロが、この若者があなたに話したいことがあるので、あなたのところに連れて行ってくれるようにと、わたしを呼んで頼みました」。
そこで千卒長は、若者の手を取り、人のいないところへ連れて行って尋ねた、「わたしに話したいことというのは、何か」。
若者が言った、「ユダヤ人たちが、パウロのことをもっと詳しく取調べをすると見せかけて、あす議会に彼を連れ出すように、あなたに頼むことに決めています。どうぞ、彼らの頼みを取り上げないで下さい。四十人あまりの者が、パウロを待伏せしているのです。彼らは、パウロを殺すまでは飲食をいっさい断つと、堅く誓い合っています。そして、いま手はずをととのえて、あなたの許可を待っているところなのです」。
そこで千卒長は、「このことをわたしに知らせたことは、だれにも口外するな」と命じて、若者を帰した。
パウロ殺害の陰謀と神の支配
確かに神は生きて働いているということはどういうことでしょうか。それは、どんな人間的な策略や陰謀も、すべて神の支配の下で、許された範囲でしか実現しないということだと思います。パウロを殺す陰謀は、不思議なことにパウロの知るところとなり、それは千卒長に伝えられ、千卒長はそれを真実と受け止めたようです。これらすべての出来事の背後に神の守りと導きとがあることを思います。神はパウロをローマにまで送り、そこで確かに神は生きて働いていると伝える計画を持っていました。人の計画は決して神の支配を越えることはできないと思います。そのような神は確かに生きて働いています。だから、人間中心、自己中心を退け、この生ける神に立ち帰り、神の御心に従って生きることが大切だと思います。それは古代日本にもたらされていた日本人の心だと思います。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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