【日本とイスラエル】供え物と禊ぎ(4)お辞儀と注連縄

お辞儀する女性

日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ3:供え物と禊ぎ」からご紹介いたします。

おじぎ

神社の参拝者は、神前で祈るときに深くお辞儀をする。「二拝二拍手一拝」というように、深々と頭をたれてお辞儀を2回し、拍手を2度して、それからもう1度お辞儀をする。

古代イスラエル人の風習

お辞儀は、古代イスラエル人の風習でもあった。今日も、ユダヤ人はシナゴーグで祈るとき、ラビはトーラーの前で頻繁にお辞儀をする。私(久保有政氏)もシナゴーグでそれを見たことがある。それは日本人のお辞儀にも似ている。

聖書の記述

聖書には、イスラエル民族の父祖ヤコブが兄エサウに20年ぶりに会うときに、深くお辞儀をしたことが記されている(旧約聖書創世記33章3節)。今日のユダヤ人の多くは、こうした挨拶としてのお辞儀をしないが、ユダヤ人が古くから移り住んでいたエチオピアには、このお辞儀の風習が今もある。私(久保有政氏)は、テレビ番組でこのエチオピア人のお辞儀をみたことがあるが、彼らのお辞儀は、日本のお辞儀と全く同じである。

注連縄(しめなわ)

日本の神社の特徴の一つに、注連縄がある。神社にいくと、神域には注連縄が張ってある。これは縄のところどころにジグザグの白い紙――紙垂(かみしで)をたらしたもので、聖と俗を区別する境界である。・・・このような風習は、今日のユダヤ教にはない。

モーセにさかのぼる

しかし、その考え方自体は非常にユダヤ教的といえる。なぜなら、かつてモーセは、シナイ山に登って十戒を授かろうとしたとき、民が山に近づいて死なないように、山の周囲に、「境を設けた」(旧約聖書出エジプト記19章12節)と聖書に記されているのだ。その境がどんなものであったかは記されていないが、縄か何かが張られたに違いない。日本の神社の注連縄は、その記憶に基づくものに違いない。

稲妻のイメージ

私(久保有政氏)には、注連縄の所々についているジグザグの紙垂は、十戒が与えられたときシナイ山にひらめきわたった稲妻をイメージしたもののように見える。注連縄をみると、シナイ山の光景が目に浮かぶようだ。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 35章16~20節

こうして彼らはベテルを立ったが、エフラタに行き着くまでに、なお隔たりのある所でラケルは産気づき、その産は重かった。その難産に当って、産婆は彼女に言った、「心配することはありません。今度も男の子です」。

彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。しかし、父はこれをベニヤミンと名づけた。ラケルは死んでエフラタ、すなわちベツレヘムの道に葬られた。ヤコブはその墓に柱を立てた。これはラケルの墓の柱であって、今日に至っている。

心配することはありません

難産に当って、産婆はラケルに「心配することはありません」と言いました。しかし、出産と引き換えに、ラケルは命を落としました。何を心配する必要がなかったのでしょうか。命を落とすことはないということではなく、男の子を産むから心配ないということだったのでしょうか。だから、これで命を落とすことになるけど、心配ないということだったのかもしれません。たとえ命を落とすにしても、落とさないにしても、何も心配ない。それが神を中心とした生き方ではないでしょうか。命は神の支配の中にあります。たとえ命を落とすことになったとしても、それが神の計画であるなら、何も心配することはありません。

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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