【日本とイスラエル】出産の穢れ

伊豆

古代イスラエル人と日本との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ4:穢れ、罪の観念、清潔等について」からご紹介いたします。

出産の穢れに関する観念

・・・日本では古来、出産をする母親は、妊娠中および産後の一定期間にわたって「穢れている」とみなされてきた。現代の日本ではそのような観念は希薄になったが、古い時代には、この観念はきわめて一般的だったのだ。

忌みの日数

たとえば『延喜式』には、穢れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を「出産」の場合は「7日」と定めている。出産も神道では「穢れ」とみなされたのである。だから出産する女性は、月経の場合と同じく、離れの家にこもって、ひっそりと過ごさなければならなかった。

産屋

この離れの家を「産屋」という。簡素な小屋であるが、一定期間、産婦は家族と離れてそこで過ごした。古事記にも、「産屋」が出てくる。京都の大原神社(京都府三和町大原)にも、昔の産屋を再現した建物がある。

男子禁制

・・・食事は家族が運んだが「別火」といって煮炊きに使う火を別にすることもあった。お産のときは男子禁制である。そこに7日こもってから出産すると、難産はないと言われたという。また出産後も20~30日前後は産屋にこもり、長い所では100日近くこもった。この風習は明治時代に廃止されたが、それまでは日本全国にみられた風習である。

古代イスラエルの風習

これは古代イスラエルのものによく似ている。なぜなら聖書にはこう書かれているのだ。「女が身重になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間穢れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように、穢れる。・・・その女はさらに三三日間、血のきよめのために、こもらなければならない。・・・もし、女の子を産めば、・・・二週間穢れる。その女はさらに六十六日間、血のきよめのために、こもらなければならない」(旧約聖書レビ記12章2~5節)。

よく似ている

つまり男子を産んだときは計40日間、女子を産んだときは計80日間、血のきよめのために産屋にこもらなければならなかった。それは産婦の静養も兼ねたものであった。産屋にこもる習慣は、もともと古代イスラエルのものである。このように、月経・出産・死にともなう穢れの観念は、古代イスラエルと日本神道の間でよく似ている。

他の宗教の場合

月経・出産・死を穢れとする観念は、ほかにインドのヒンズー教にもある。ヒンズー教では、穢れの観念により、動物界・植物界・鉱物界にまで序列をもうけている。そればかりか人間の生まれに関しても、穢れの観念により厳しい序列をもうけ、人間差別を行なった。それが悪名高いカースト制と呼ばれる身分制度である。しかしユダヤ教や神道の穢れの観念は、そこまで激しいものではない。ユダヤ教や神道では、人間の特定の状態を穢れと考えるが、生来穢れた人間がいるとは教えないのである。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 38章1~11節

そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。ユダはその所で、名をシュアというカナンびとの娘を見て、これをめとり、その所にはいった。

彼女はみごもって男の子を産んだので、ユダは名をエルと名づけた。彼女は再びみごもって男の子を産み、名をオナンと名づけた。また重ねて、男の子を産み、名をシラと名づけた。彼女はこの男の子を産んだとき、クジブにおった。

ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。

しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。

そこでユダはその子の妻タマルに言った、「わたしの子シラが成人するまで、寡婦のままで、あなたの父の家にいなさい」。彼は、シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思ったからである。それでタマルは行って父の家におった。

カナンびとの娘をめとったユダ

カナンびとはカナンの地に住む人であり、イスラエル民族ではありません。イスラエルを離れ、神の民ではない娘をめとったユダの心は神中心であったのか。それは神の前に正しいことであったのか。その子たちは神の前に悪を行ったことが記されていますので、ユダ自身が人間中心だったのではないかということを考えさせられます。亡くなった兄の子を残すために弟が兄の妻と結婚するという慣わしは聖書に記された慣わしであり、イスラエルの慣わしでした。ユダはイスラエルの慣わしに従って、弟を兄の妻と結婚させました。かつて日本にも同じ慣わしがありました。イスラエルの慣わしが日本でも行われていたと考えられます。しかし、弟オナンはそれに従うことを拒みました。それも神の前に正しいことではありませんでした。イスラエルの子供たちもこうして人間中心の過ちに陥ったことが記されています。

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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