日本の正月とイスラエルの風習について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本の風習の中の古代イスラエル」からご紹介いたします。
日本の正月
日本には、古来、正月を盛大に祝う風習がある。多くの日本人は元旦に、まだ夜も明けないうちから我先にと神社に初詣を始める。また元旦から、一家団らんして餅を食べ、また通常7日間くらいにわたって餅を食べて、7日目に、7種の菜を入れた七草粥を食べる。
旧暦
現在の日本人は太陽暦を使っており、元旦は1月1日、七草粥は1月7日とされている。しかし、月の暦だった旧暦の時代には、1月15日が正月だった。これは1月15日が満月の日だったからである。今日、1月15日が「小正月」と呼ばれているのはその名残である。またその前夜の1月14日を「14日年越し」という。
新年の豊穣を祈念する催し
旧暦の時代には、1月15日はそのために公休日とされていた。小谷部全一郎によれば、七草粥も、平安朝以前は1月15日に行われていた。そして人々は、それに続く日々に、新年の豊穣を祈念する催しを行った。
古代イスラエルの風習
この風習は、古代イスラエルにあった風習と同じなのだ。古代イスラエルでは、ユダヤ暦の1月15日から7日間は「種入れぬパンの祭」(または「過越の祭」)と呼ばれ、人々は「種を入れないパン」——ヘブル語で「マツァ」を食べた。「第一月の一五日は・・・種を入れないパンの祭である。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない」(旧約聖書レビ記23章6節)。種を入れないパン(マツァ)は、「パン種」(今日ではイースト菌や酵母が用いられる)を入れず、発酵させないでこねて焼いたパンである。
餅
しかし、材料を小麦粉ではなく餅米で作れば、それは日本の餅になる。中国では、日本の「餅」に相当するものはガオと呼ばれ、韓国ではトックといって、モチとはいわない。モチは、日本の古語では「モチヒ」と書かれている。ユダヤの「マツァ」と日本の「モチヒ」(餅)の発音が似ているのも、きっと偶然ではないだろう。実際、ユダヤの「マツァ」と日本の「餅」は、発音も意味も、作り方も、そして目的も非常によく似ている。
苦菜
またイスラエル人は、1月15日には特に「苦菜」を添えて食べた。「その夜(1月15日)・・・苦菜を添えて食べなければならない」(旧約聖書出エジプト記12章8節)。つまり、ちょうど昔の日本人が、正月15日に七草粥を食べたように、イスラエル人は苦菜を正月15日に食べたのである。この「苦菜」は、古代ユダヤの教典ミシュナによると、具体的には、ちしゃ(レタス)、きくちしゃ(チコリー)、こしょうぐさ、蛇の根、たんぽぽなどであったが、とくに決まりはなく、ほろ苦い野菜ならば「苦菜」として食べたようである。・・・(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。
旧約聖書 創世記 41章44~57節
ついでパロはヨセフに言った、「わたしはパロである。あなたの許しがなければエジプト全国で、だれも手足を上げることはできない」。パロはヨセフの名をザフナテ・パネアと呼び、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻として彼に与えた。ヨセフはエジプトの国を巡った。ヨセフがエジプトの王パロの前に立った時は三十歳であった。ヨセフはパロの前を出て、エジプト全国をあまねく巡った。
さて七年の豊作のうちに地は豊かに物を産した。そこでヨセフはエジプトの国にできたその七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々に納めさせた。すなわち町の周囲にある畑の食糧をその町の中に納めさせた。ヨセフは穀物を海の砂のように、非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。
ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。ヨセフは長子の名をマナセと名づけて、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。
エジプトの国にあった七年の豊作が終り、ヨセフの言ったように七年のききんがはじまった。そのききんはすべての国にあったが、エジプト全国には食物があった。やがてエジプト全国が飢えた時、民はパロに食物を叫び求めた。そこでパロはすべてのエジプトびとに言った、「ヨセフのもとに行き、彼の言うようにせよ」。
ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った。ききんはますますエジプトの国に激しくなった。ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにきた。
神が豊かにせられた
今やエジプトの地でヨセフはエジプト王パロに次ぐ権威を与えられていました。兄たちに売られ、エジプトに連れて来られ、そこで投獄され、ヨセフは何年過ごしたのでしょうか。神の計画は計り知れません。ヨセフは「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。と言って、すべては神の計画によるもであり、また神の祝福であると言いました。確かに困難がありました。しかし、その苦しみの中にあっても、神はずっとヨセフを守っていてくださったと、ヨセフは神に目を留めたのでしょう。目に見えることがすべてではありません。その時は分からないこともあります。しかし、自己中心、人間中心を退けて、神に目を留め、神に従い、神に期待して生きる。それが神を中心とした生き方であり、また、日本人が太古の昔から大切にしてきた生き方です。たとえ今、どのような状況に置かれていたとしても、全能の神に目を上げて歩みましょう。神の計画に期待しましょう。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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