【日本とイスラエル】幼子のように素直な心

赤ちゃんの手

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「清き明き心のルーツ:日本精神と聖書1」からご紹介いたします。

日本人とユダヤ人のつながり

清き明き心を大切にする点で、ユダヤ人と日本人は非常に似通っていると、私(久保有政氏)は感じる。さらに、日本人が昔から清き明き心を大切にしてきた背景には、先(前回)の聖書の言葉がインナー・トーラー(内なる律法)として日本人の心の奥底に書き記されていたからではないか、とさえ思う。その点でも、日本人とユダヤ人は古代においてつながっていると感じる。

神が愛を注いだ民族

日本人とユダヤ人は、その先祖に、神が深い愛を注いでくださった民族である。「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである」(旧約聖書申命記10章15節)。この言葉は、ユダヤ人にも日本人にも同様に言える。神は、私たちの先祖をこよなく愛してくださった。それゆえに今、私たち子孫も神の深い御愛の中に入れられ、「清き明き心」の伝統の中に置かれている。

清き「赤き」心

さて、清き明き心は、今日ではふつう清く明るい心と書くが、『日本書紀』の中では、「清き赤き心」という文字を使っている。赤ちゃんの赤、赤子の赤だ。ということは、これは本来「清く、また赤子のように素直な心」と、とることもできるだろう。イエス・キリストは、あるとき幼子たちを見て、「神の国は、このような者たちのものです。・・・子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(新約聖書マルコの福音書10章14~15節)と言って、子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福されたと、聖書に記されている。赤子のように素直に天国を受け入れ、清らかに信じ、神に信頼する心、それが清く赤き心である。神が喜ばれるのは、そのような心だ。

親の教え

以前、ある中国人の方にお聞きしたのだが、中国では親は子どもに何を真っ先に教えるかというと、「人に騙されるな」と教えるという。中国社会は人間不信の社会で、騙し騙される社会だから、人に騙されるなよと教える。・・・しかし日本では、何と教えるだろうか。親は子どもに、「ウソをつくな」と教える。正直でいなさい、誠実でいなさいと、赤子の魂のときから清き明き心を教える。また、「騙すくらいなら騙されよ」と教えることさえある。

神のみこころを宿す心

日本では何より、清き明き心を尊ぶのである。なぜなら昔から、そういう心が神のみこころを宿す、と考えられたからだ。神道で「清き明き心」には、神のみこころに一致した心という意味がある。神のみこころを宿す心。信仰とは、清き明き心なのである。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 4章27~31節

主はアロンに言われた、「荒野に行ってモーセに会いなさい」。彼は行って神の山でモーセに会い、これに口づけした。モーセは自分をつかわされた主のすべての言葉と、命じられたすべてのしるしをアロンに告げた。

そこでモーセとアロンは行ってイスラエルの人々の長老たちをみな集めた。そしてアロンは主がモーセに語られた言葉を、ことごとく告げた。また彼は民の前でしるしを行なったので、民は信じた。彼らは主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみを見られたのを聞き、伏して礼拝した。

伏して礼拝した

アロンはモーセの兄弟と記されています。新改訳聖書では兄と記されています。ヘブル人の男の子は殺されなければならなかったにもかかわらず、モーセのみならず、モーセの兄弟アロンも殺されずにいたということです。他にも殺されずにいたへブル人の男の子は多くあったのでしょうか。分かりませんが、神様の特別な守りがあったのかもしれません。いずれにしても、神様がアロンにも現れ、神の山とありますので、初めに神がモーセに現れた山でしょうか、そこでモーセに会います。そして、モーセと共にエジプトに行き、イスラエルの長老たちに話すと、彼らはモーセとアロンの話を信じ、神を覚えて礼拝しました。礼拝したという言葉はひれ伏したという言葉です。目には見えませんが、確かに神が生きて働いておられ、イスラエルを顧みてくださったことを知って、イスラエルの長老たちは神にひれ伏したということでしょう。それは決して何かの宗教的な儀式を行うことではありません。私たちもまた日常生活の中で、神がそこにおられることを覚えて、頭を垂れ、祈ることが大切だと思います。人間中心、自己中心を退け、神の前にひれ伏し、神の守りを信じて歩む。それは太古の昔から日本人が大切にしてきた生き方であり、古代イスラエル人が日本にもたらした生き方であることを思わされます。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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