【日本とイスラエル】武士道と聖書

幕末藩士

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「武士道:日本精神と聖書2」からご紹介いたします。

武士道

「武士道」はいわゆる「日本精神」のなかでも、中心的なものとして、古来、日本人の中に生き続けてきたものです。その武士道の考え方、生き方を、世界に初めてわかりやすく紹介したのは、国際連盟事務次長をも務めた新渡戸稲造でした。彼は、明治の日本は「和魂洋才」を旗印に国造りに励んでいるが、その「和魂」の中心は武士道です、としてその本を書いたのです。

新渡戸稲造

西暦一九〇〇年に英語で出版された新渡戸稲造の著「武士道」は、世界中に大きな反響を巻き起こしました。なかでも、時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、超多忙であったにもかかわらず、この本を手に入れると、徹夜で読破したといいます。彼は感動のあまり、翌日ただちに三〇冊を自分で買って、世界中の要人に配って、「ぜひ一読するといいです」と勧めました。

セオドア・ルーズベルト

それからしばらくして、日露戦争がありました。日本とロシアが戦った。そのときセオドア・ルーズベルトは、日露の講和条約の仲介に入ってくれました。つまり日露戦争を終わらせることができたのは、彼が仲介してくれたからです。仲介に入ってくれたのは、彼が日本の武士道というものを理解し、日本精神というものに深く共鳴してくれたからでした。

武士道と聖書の共鳴

「武士道」を書いた新渡戸稲造は、じつはクリスチャンでした。クリスチャンというと、西洋かぶれの人間と思っておられるかたもいるかもしれません。しかし、なぜクリスチャンが「武士道」を書いたのか。じつは、明治や大正の時代に、日本精神またその根幹である武士道というものを、最もよく理解し、その世界的な意義を最も高く評価したのは、クリスチャンたちだったのです。

日本の歴史と伝統

今の日本人や、今の日本のクリスチャンらは、武士道と聞くと「封建時代の亡霊」のように思っている人も多いかもしれません。武士道は、戦場に必要なものかもしれないが、今のような平和な時代には必要ないと思っているかたも、いるかもしれません。しかし、そうではありません。武士道は、日本の歴史と伝統をつくり、導いてきたものでした。

日本人の生き方

そして現代にも必要です。そこにこそ、日本人というものを理解する鍵があります。武士道は、単に武士だけのものではありませんでした。それは日本人全体の生き方、死に方を導いてきたものです。もし西郷隆盛や、大久保利通、伊藤博文、大隈重信、板垣退助など明治維新を成し遂げた人々の書いたものを読んでみるならば、彼らの行動と生き方というものは、武士道に貫かれていたことを知ることでしょう。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 6章10~13節

6:10さて主はモーセに言われた、 6:11「エジプトの王パロのところに行って、彼がイスラエルの人々をその国から去らせるように話しなさい」。 6:12モーセは主にむかって言った、「イスラエルの人々でさえ、わたしの言うことを聞かなかったのに、どうして、くちびるに割礼のないわたしの言うことを、パロが聞き入れましょうか」。 6:13しかし、主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々と、エジプトの王パロのもとに行かせ、イスラエルの人々をエジプトの地から導き出せと命じられた。

しかし、主はモーセとアロンに語った

「割礼」とは、男性の生殖器の皮を切ることで、神の民のしるしとすることですが、「くちびるに割礼がない」とは、言葉に神のしるしがない、言葉に才能がない、秀でていないという意味だろうと思います。神の命令に従って、エジプトまで来て、パロにイスラエルの人々をエジプトから去らせるようにと言いましたが、その結果、イスラエルの人々の労役は重くされ、イスラエルの人々の信頼も失ってしまいました。モーセは再び自分の足りなさを感じ、それを神の命令に従わない理由として、神に申し上げています。私たちもまた自分の非力を知る時、自分はその器ではないと感じる者でしょう。しかし、それでも神はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々をエジプトの地から導き出せと命じられたと記されています。人間中心、自己中心を退け、神を中心にするとは、自分の非力を中心にしないで、神の命令に従うことでもあると思います。自信がなくても、あっても、ただ「はい」と言って、神に従うことは神中心の生き方であり、日本人の生き方です。何をもって神の命令とするのか、どのように見極めたら良いのでしょうか。モーセやアロンのように、私たちには神の声が聞こえる訳でもないでしょう。しかし、良心の耳で神の声を聞き分けることはできるのではないでしょうか。イスラエルの人々をエジプトから導き出すこと。どんなに断られても、そのようにパロに話すことは悪ではなく、正しいことではないでしょうか。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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