【日本とイスラエル】水戸黄門と昭和天皇

初日の出

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「武士道:日本精神と聖書2」からご紹介いたします。

「名誉の死」と「犬死」

武士道では、死ぬに値しないことのために死ぬことは「犬死」と呼ばれました。一方、命をかける価値のあるもののために死ぬことは「名誉」と考えられました。

水戸黄門

水戸黄門は、「戦場に駆けいって討ち死にすることは、誰にでもできることだ。生きるべき時は生き、死ぬべきときにのみ死ぬことを真の勇気という」と言っています。何のために死ぬかを、ふだんからしっかり持っていることが大切です。

昭和天皇

終戦後、昭和天皇が、アメリカ占領軍のマッカーサー元帥のところに出向きました。マッカーサーはそのとき、天皇は命乞いに来たのだろうと思いました。戦争に負けた国の元首は、命乞いをするか、亡命して逃げるかしかなかったからです。しかし昭和天皇はマッカーサーの前に立ち、「一切の責任は私にあります。すべての責任を私が負います。私を生かすも殺すも、あなたの手の中にあることです。しかしどうか国民を助けていただきたい」といった内容のことを言いました。そのときマッカーサーは深く心を動かされました。

マッカーサー

マッカーサーは、かつてフィリピンにいたとき日本軍の進軍を受け、敗退を余儀なくされたとき、何万人もの兵士たちをおいて逃げた人です。自分と少数の将校は助かりましたが、他のすべての兵士たちは日本軍の捕虜となりました。マッカーサーは、自分の命さえ惜しまず国民のために語る昭和天皇を前にして、「(天皇の)勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までゆり動かした」と、のちに回顧録に書いています。

国民のために命をかける国家元首

当初、会談を簡単に片づけようと思っていたマッカーサーでしたが、昭和天皇の言動に感動した彼は、約四五分間も話し込みました。昭和天皇は、「このことのためなら私は死んでもいい」という気持ちで、連合軍総司令官の前に立ったのです。マッカーサーは、「こんな立派な元首は見たことがない」と語りました。つまり、命をかける価値のあるもののためには、自分の命を惜しまない。昭和天皇のご行動は、まさに武士道のあらわれでした。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 7章8~13節

7:8主はモーセとアロンに言われた、 7:9「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。 

7:10それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。 7:11そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。 7:12すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。 

7:13けれども、パロの心はかたくなになって、主の言われたように、彼らの言うことを聞かなかった。

主が言われたように

モーセとアロンは主なる神に言われたとおり、エジプト王パロの前で不思議を行いました。しかし、パロもまた魔術師に秘術を行わせました。当時、そんなことができる人が実在していたのでしょうか。パロの心はかたくなになり、モーセとアロンの言うことを聞きませんでした。それは主が言われたとおりでした。すべては神が支配しています。パロも神に対決して、何かをすることはできません。その心をかたくなにし、モーセとアロンの言葉を受け入れないのも、すべては神の許しの中で行われているのです。たとえ私たちの置かれている状況が悪く見えたとしても、神の許しの中で起こっているのです。ですから何も心配する必要はありません。そこで神を見上げ、神の御心を求め、神に従う生活をすることは可能なのです。それが太古の昔から日本人が大切にしてきた生き方であり、清き明き心であり、神を中心とした生き方なのです。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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