「人間関係」に関する名言・格言。共感したものをご紹介いたします。
まず好きになる
人とつきあうのに秘訣があるとすれば、それはまずこちらが相手を好きになってしまうことではないでしょうか。(瀬戸内寂聴:天台宗の尼僧、小説家)
恥をかかすな
あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。(ニーチェ:ドイツの哲学者)
垣根は自分
垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。(アリストテレス:古代ギリシャの哲学者)
忘れることは赦すこと
人の落ち度は、赦すより忘れてしまえ。(中村天風:日本初のヨーガ行者)
人に花を持たせる
他人に花を持たせよう。自分に花の香りが残る。(齋藤茂太:日本の精神科医、随筆家)
誰も信じられなくなる
嘘つきに与えられる罰は、少なくとも彼が人から信じられなくなるということではない。むしろ、彼が誰をも信じられなくなるということである。(バーナード・ショー:アイルランドの劇作家)
相手に親愛の情を示そう
人と会うのが苦手な人の大半は、相手と打ち解けるのに時間がかかるものだが、それは出会いの一瞬に相手に対する親愛の情を示さないからだ。(齋藤茂太:日本の精神科医、随筆家)
人を赦す
人付き合いがうまいというのは、人を赦せるということだ。(ロバート・フロスト:米国の詩人)
赦せる強さを持とう
弱い者ほど相手を赦すことができない。赦すということは、強さの証だ。(ガンジー:インドの弁護士、宗教家、政治指導者)
謙遜な人は幸せ
自然にひれ伏さなければ、自然はその一番美しいところを見せてくれないと言った人があったが、そのとおりだと思う。物は見下ろすと欠点がよく見えるようだ、見上げるようにすると長所が見えてくる。見下ろして生きるのは不平不満の生き方、見上げて生きるのは感謝の人生だと思う。(帖佐美行:日本の彫金家)
これも謙遜でしょう
悪口を言われて我が身を正すことの出来る人間は幸せと言うべきだ。(シェイクスピア:英国の劇作家)
誰でも良心で判る
正直とか親切とか友情とか、そんな普通の道徳を堅固に守る人こそ、真の偉大な人間というべきである。(アナトール・フランス:フランスの詩人、小説家)
本当にそうですね
誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ。(ヘミングウェイ:米国の小説家)
神様を中心にする
いかがでしたでしょうか。参考になる言葉はありましたでしょうか。全て自分を中心にしないで、神様を中心にすることだと思いました。そこに全ての問題の解決、幸いな人生の秘訣があると思います。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。「その通りだな」と思うことを実行すること、それが神様の願いや思いを中心することであり、誰でも自分の良心で判断することができることだと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の生き方のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 5章43~48節
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
当たり前を見直す
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』という言葉が旧約聖書の中にある訳ではないと思います。人は皆そう言っている。それが当たり前だと思っている。そういうことだと思います。でも、敵を愛しなさい。それでこそ神様の子ども、神様を中心にした生き方だとイエスは教えたのだと思います。
いくらでも自己正当化はできますが
それは憎しみそのものの否定だと思います。しかも単に憎しみを放棄するだけでなく、積極的に愛するようにと教えています。いかがでしょうか。やはり憎しみは自己中心だと思います。もちろん、憎む理由はいくらでもあります。いくらでも自己正当化することもできます。それは普通です。でも、その自己中心があなたを滅ぼしてしまうことも事実だと思います。
どうしたら克服できるのでしょうか
どうしたら憎しみを克服できるでしょうか。私は誰にもできないと思います。憎しみは克服するのではなく、愛すること。それが答えだと思います。それは神様を中心にすることです。自分の力で自己中心を我慢するのではなく、積極的に神様を中心にすること。それだけが解決だと思います。
神様の喜びとなる
神様の喜びとなる。それが私たちが生きる意味だと思っています。憎しみを抱いて不幸な人生を送るのではなく、神様の喜びとなって、幸いな人生を生きる。それが私の存在意義であり、神様があなたに願っていることではないでしょうか。
イエスの言葉を読み返してみましょう
「取税人」とはユダヤ人から税金を集めて、ローマに納める仕事をするユダヤ人です。ユダヤ人の間では最も見下げられた人々であったようです。「異邦人」とはユダヤ人ではない人のことです。当時のユダヤ人の間では「取税人」より見下げられていたようです。
神様を中心にして生きる喜び
どうぞ今日のイエスの言葉を何度も読み返し、神様を中心にして生きる幸いを感じていただければと思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。