価値観の違い、お金の使い方、子供の教育方針、親の問題、暴力や浮気・・・仲良し夫婦でも様々な問題を抱えると思います。どのように対処すべきでしょうか。今日は色々な方々のアドバイスの中から共感したものをいくつかご紹介いたします。
「話し合い」はムダ?
夫婦の問題の解決に「話し合い」を挙げる方が多いが、それはムダと言い切る意見を読みました。多くの場合、夫はいつも変化にさらされているので、変化に対応して自分も変化することが解決と考えるが、妻の生活は変化に乏しく、安定志向になりやすい。その違いが、意味のある「話し合い」を阻んでいると指摘しています。
妻が解決策を提案する
その違いを理解し合い、意味のある「話し合い」が出来れば良いのでしょうが、出来る夫婦もあれば、難しい夫婦も多いのかもしれません。この方は、妻が家庭で抱える問題の解決であれば、ただ夫に頼るのではなく、妻が考えて、夫に提案できると良いと言っています。「話し合い」がうまくいかないという人(妻)は参考にしてみてはいかがでしょうか。
コミュニケーションの取り方の違いを知る
また、ある方は夫婦でコミュニケーションを取ることは大事だが、コミュニケーションの取り方には違いがあることを知らないとうまく行かないと言っています。寡黙な夫と何でも話したい妻ではコミュニケーションの取り方には当然違いがあると思います。大切なことは、本当にコミュニケーションは取れているのかということだと思います。あなたは伴侶が何を考えているのかどのくらい知っているでしょうか。
愛の表現にも違いがあることを知る
確かに違いがあると思います。その違いに不満を感じていることもあるかもしれません。もっとこうして欲しいと思っていることもあるでしょう。「多くの人は自分は変えられない。または少し変わっても大した意味はないと思いがち。しかし、些細なことからでも夫婦関係に変化は与えられる。」という文章が心に留まりました。相手が望んでいる表現方法を少ししてみてはいかがでしょうか。
環境の変化が与える影響の大きさを知る
環境が変わり、それぞれの考えや優先順位に変化が生じているのに、お互いの関係に対して何も対処していないということはないでしょうか。そのままにしていてはいけません。どうするか話し合う必要があると言っている方がいました。
マンネリを打ち破る
長い夫婦生活において新鮮な気持ちがなくなっているということもあるかもしれません。そのままにしておいてはいけないと指摘している方もいらっしゃいます。二人で何か新しいことにチャレンジしてみる。映画を見に行く、サイクリングに行く。そんなことでも新鮮さを感じるのではないでしょうか。
神様を中心にする
しかし、大切なことは単なる対処療法ではなく、いつも神様を中心にすることだと思います。それは何かの宗教を信仰することではありません。お互いに神様を意識して、神様の前に何が正しいかを判断し、心に示されることを実行することだと思います。そのような誠実な生き方がどんな問題にも解決を与えると私は思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は私たち日本人の信仰と生活のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでいただきたいと思います。
新約聖書 マタイの福音書 6章5~8節
また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
祈り
イエスは「祈り」について、2つのことを教えているようです。1つは、「誰に祈るのか」ということではないでしょうか。「祈り」は神様に祈るのであって、人に聞かせるものではないということだと思います。必ずしも人前で祈ってはいけないということではないでしょう。病人や悩んでいる人のために祈ってあげることもあると思います。でも、その人に聞かせるために祈るではなく、神様に祈るのだと思います。
神様は祈る前から知っている
イエスは神様のことを「父」と言っていますが、そのような親しみを込めて祈って良い、頼って良いということではないでしょうか。もう1つのことは、「父である神様」は私たちが祈る前から、私たちの必要を全て知っているということだと思います。祈りは奇跡を呼び起こす不思議な呪文ではありません。神様に信頼して、子供が親に何でも話すように祈ったら良いということだと思います。
神様を中心にする
神様は何でも叶えてくれる私たちの召使いではありません。神様に祈ることによって、私たちは神様を意識し、自己中心ではなく、神様を中心にして生きることができるようになるということが大切なことではないでしょうか。もちろん、神様は私たちの祈りに応えてくださると私は思っています。しかし、それは我が儘な子供の欲求に何でも答えてくれる過保護な親ということではないと思います。私たちに何が必要なのかを良く知っておられ、最善を与えてくれる父ということではないでしょうか。そのような信頼が私たちの心に大きな平安を与えると私は思います。
毎日時間を決めて祈る
どうぞ毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読んでみてください。それは理屈ではなく体験だと思います。日本人は太古の昔からそのような生き方を大切にして来たのだと思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。