先週の日曜日に青森県新郷村で行われた「キリスト祭」に行って来ました。この祭りは毎年6月第一日曜日に行われているもので、今年で54回目になるそうです。写真はこの祭りのポスターです。
以前にこのブログで新郷村の「キリストの墓」を訪問した時のことをご紹介しましたが、「キリスト祭」はこの「キリストの墓」がある「キリストの里公園」を会場に行われます。私は前日の土曜日から現地に入りました。下の写真はキリストの里公園入口の案内図とキリスト祭の式次第看板です。「キリスト慰霊祭」と書かれています。
中に入ると「キリスト祭」と書かれたのぼりがたくさん掲げられていました。
キリストの里公園内には「キリストの里伝承館」があり、なぜここにキリストの墓があり、キリスト祭が行われるようになったのか展示されていましたので、今日はその内容をお伝えしたいと思います。
キリストの里伝承館の展示によると、昭和6年、皇祖皇太神宮で発見された竹内古文書の中にあった「キリストの遺言」には驚くことにイエス・キリストの21~33歳の消息が記されていたといいます。
それによると、キリストは11代垂仁天皇の御代に初来日し、能登半島に上陸、富山の皇祖皇太神宮の神主、武雄心親王の弟子となり、11年の修行を終えて帰国。イスラエルで布教活動をしたものの、ユダヤ教体制派の人々の反感を買い、十字架刑に処せられることになった。しかし、竹内古文書によれば、十字架についたのは弟のイスキリであったといいます。
磔刑を逃れたキリストは弟子たち数人とシベリヤを経由し、各地を遍歴しながら、4年目の2月26日にアラスカから船に乗り、松ヶ崎(青森県八戸港)に上陸。その名を八戸太郎大天空と改め、戸来(現在の青森県新郷村)に住居を定め、十来太郎大天空と名乗り、106歳で天寿を全うしたといいます。
その遺言によれば、その間キリストは布教には努めなかったものの、日本の各地を遍歴行脚し、言語、風俗、人情などを視察するかたわら、庶民の救済に尽力された。当時のキリストは禿頭白髪、赤ら顔の鼻高で、ヒダの多いオーバーのようなものを着ていたことから、人々に天狗と敬われていたといいます。
当時、皇祖皇太神宮の神職であった竹内巨麿は、この文書に基づき、昭和10年8月に戸来村(現在の新郷村)で十来塚を発見。これをキリストの墓としたことが始まりだということです。ただし、この発見以前にはこの村にキリスト伝説はなく、竹内古文書も研究者の間では一般的に偽書と言われているようです。しかし、事実はどうであれ、キリストの霊を慰めるための慰霊祭を村を挙げて行うということ自体驚くべきことであり、日本人の信仰心を表しているのではないかと興味深く感じました。
また、キリストの墓の横には、エルサレムから新郷村に友好の証しとして石碑が寄贈され、設置されていました。「キリスト祭」の内容は明日のブログでお伝えいたします。お楽しみに。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の生活にも深く関係があるようです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみていただきたいと思います。
新約聖書 マタイの福音書 19章23~30節
それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。
神にはどんなことでもできます
「金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」とは、金持ちが神の国に入るのは不可能だということでしょう。金持ちこそ神様から祝福された人だと考えられていたとすれば、一体だれが救われるのかというのが弟子たちの思いだったかもしれません。しかし、神の国とは神様を中心とした生き方のことであり、それはどんな富よりも、どんな地位や名声にも勝る喜びであることを理解させるのは神様の力によるということなのかもしれません。
先の者があとになり、あとの者が先になる
ペテロは何もかも捨てて従って来たと言いました。イエスもまた家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者は永遠のいのちを受け継ぐと言いました。それは文字通り捨てるというよりも、神様を中心にすることは、それ以上の価値があるという意味ではないかと思います。「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多い」とイエスは言いました。それは私たち人間の判断と神様の判断は違っていることが多いということではないでしょうか。
いかがでしたか
参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。
「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。