【日本人と日本文化】日本が教えてくれた美学

一輪挿し

「もうすでに日本は第二の祖国」と語るのは、日本滞在約3年のオランダ人陶芸家、スワニカ・リヒテンベルグさん。加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介します。

必ずしもそうではない

私は、創作活動の過程で、真実、正直さ、美しさ、そして人生の喜びを表現しようと努めています。そして、私は自分の創作する作品は、すべて完璧でなくてはならないと信じてきました。けれども、日本に滞在するようになり、必ずしもそうではないことに気がつきました。

そこにこそ美の根源がある

日本人の陶芸家たちの作陶を見ていると、驚くほど手順を大切にします。道具を整然と並べて丁寧に扱います。教わった通りに忠実に作業を進めます。ところが、窯から出てきた作品が、少し傾いていたり、期待していたように出来上がらなくても、むしろそれを楽しみ、そこに価値を見いだしているのです。そこにこそ美の根源があるということを教えられました。不完全を否定していては、表現を壊してしまい、躍動力や想像力をも失う危険性があるという大事なことを、私は日本で学ぶことができました。

たった一輪の花で

また、日本の芸術は非常に繊細です。たとえば、日本の生け花では、たった一輪の花で、その美の表現を極めるというようなことがあります。長年暮してきた米国では、お花といえば豪華で大きな花束こそ価値があるという傾向が見受けられますが、それとは大いに異なる、日本の素晴らしい芸術観だと思います。

日本文化に内在する大きな美点

日本の文化と接する時、私は常に意識することがあります。それは、完全と不完全。二つのまったく異なる事象の共存と対比。わびとさび。沼地から発芽し、見事な花を咲かせ、そして朽ちていく蓮の花の変遷・・・。これらは、日本文化に内在する大きな美点であると思います。予期できないこと、それは人生と同じなのです。私と日本との出会い、そして日本に住むようになったことも、今から思えば偶然で不思議な出来事のように思います。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

人の思いを越えた神の御手にゆだねる。必ずしも人間的に完全を目指すことが良いとは言えない。それが日本人の心にはあるのではないでしょうか。それは古代イスラエル系渡来人によってもたらされた思いであり、聖書にさかのぼることができるものでしょう。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてみてください。そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 14章34~36節

それから、彼らは海を渡ってゲネサレの地に着いた。するとその土地の人々はイエスと知って、その附近全体に人をつかわし、イエスのところに病人をみな連れてこさせた。そして彼らにイエスの上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいとお願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

皆いやされた

ガリラヤ湖の対岸ゲネサレの地にもイエスが病人をいやすという噂は広まっていたのでしょう。そこにイエスが来たと知ると、その附近全体に人をつかわして、病人という病人をみなイエスのところに連れて来たと記されています。そして、上着のふさ、それは神社の神官が身につける衣の袖にもついているものですが、ユダヤ人の上着から伝わったものだと言われています。イエスの上着にもふさがついていたことが分かります。そのふさで良いので、さわらせてやって欲しいということですが、手を置いて祈るまでもなく、衣のすそでもさわらせて欲しいというような意味だろうと思います。驚いたことに、さわった者は例外なく、全員いやされたと記されています。それは明らかに神の超自然的な力であり、イエスを通して神の力が働いていたことを示す出来事だと思います。ゲネサレの人々はそのことを目の当たりに体験したのだと思います。この神に目を留めて生きること。それが大切なことではないでしょうか。

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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