2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日は女と蛇にまつわる沖縄の伝説について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。
浜下り(ハマウリ)の由来の物語
沖縄には、女と蛇にまつわる伝説をよく発見する。そして、その筋書きは、たいてい蛇が女を惑わした物語である。旧暦3月3日の浜下り(ハマウリ)の由来の物語も良く知られている。
大昔、ある年の3月3日のこと、一人の漁夫がガーナーの海岸を歩いていると、とつぜん雨が降ってきた。彼はあわてて近くの岩陰に雨宿りしようと入って行った。すると奥の方から、何やら話し声が聞こえてくる。オヤッと思い、そっとのぞいて見ると、驚いたことに2匹の大きな青大将(アカマター)がとぐろを巻いて話し合っている。
蛇1「俺は今度、すごいことをしたよ。と言うのは、美しい人間の娘を惑わすことに成功したのさ。近いうちに、その娘は俺の子を産むんだぜ。どうだい、あの高慢な人間の娘をだまして、子を産ませるなんて愉快じゃないか」
蛇2「そうかい、お前はなかなか大した腕前だ。しかし、その娘は本当にお前がアカマターとは、知らないんだろうなぁ」
蛇1「それはそうだよ。正体を見破られるようなヘマはやらないよ。俺はその娘の家に行く時には、花染めの手ぬぐいを顔にかぶって、美しい若者に化けて行くのだよ」
蛇2「しかし、お前、喜ぶのはまだ早いぜ。人間は賢いからな。娘のお婿さんがアカマターと知ったら、あいつらはすぐにヨモギ餅を食べて、浜下り(ハマウリ)し、白砂を踏むだろう。そうしたら、すぐ流産するっていうぜ。」
2匹のアカマターの会話を聞いて、漁夫はびっくり仰天した。その娘というのは、彼の隣りに住んでいる、最近、懐妊している娘に違いないのだ。漁夫は飛んで帰り、娘の母親に一部始終を話した。母親は青くなり、早速ヨモギ餅を作って、娘に食べさせ、若狭海岸の夫婦岩付近に浜下り(ハマウリ)させ、白砂を踏ませた。娘は数十匹のアカマターの子を流産した。そのことがあって以来、3月3日には、女は海辺に出て、遊ぶ習慣になったという(「琉球エデンの園物語」与那城勇著)。
沖縄各地に残る女と蛇に関する伝説
八重山にも同じような女と蛇にまつわる伝説があり、宮古島の張水御嶽(ハリミズウタキ)の伝説にも、同類のものが残っている。この張水御嶽(ハリミズウタキ)にある案内板には「人蛇婚説話にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも注目されている」と書かれている。この他にも、沖縄には多くの女と蛇にまつわる伝説がある。 (ブログからの引用は以上です。)
蛇に騙されたエバ
ご存知のように、旧約聖書の創世記に人類の始祖であるアダムとエバの話がありますが、エバは蛇に誘惑されて、神が食べてはいけないと命じた善悪を知る知識の木の実を食べ、アダムにも食べさせてしまいます。沖縄各地に女と蛇に関する伝説があるのは、この旧約聖書の物語に遡ることができるのかもしれません。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄人、日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心の原点を知るために聖書を開いてみてください。
新約聖書 使徒行伝 23章6~10節
パウロは、議員の一部がサドカイ人であり、一部はパリサイ人であるのを見て、議会の中で声を高めて言った、「兄弟たちよ、わたしはパリサイ人であり、パリサイ人の子である。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、裁判を受けているのである」。
彼がこう言ったところ、パリサイ人とサドカイ人の間に争論が生じ、会衆が相分れた。元来、サドカイ人は、復活とか天使とか霊とかは、いっさい存在しないと言い、パリサイ人は、それらは、みな存在すると主張している。そこで、大騒ぎとなった。
パリサイ派のある律法学者たちが立って、強く主張して言った、「われわれは、この人には何も悪いことがないと思う。あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかもしれない」。
こうして、争論が激しくなったので、千卒長は、パウロが彼らに引き裂かれるのを気づかって、兵卒どもに、降りて行ってパウロを彼らの中から力づくで引き出し、兵営に連れて来るように、命じた。
パリサイ派とサドカイ派
ローマの千卒長の権威下ではありましたが、パウロが引き出されたのはローマの法廷ではなく、ユダヤ教の祭司長たちとユダヤの全議会の前でした。そこでパウロはユダヤ教の神学に立った主張をしたようです。パウロはユダヤ教の権威者を前に、自らの主張をユダヤ教、特にパリサイ派の立場から説明しようとしたのかもしれません。イエスは、神の教えを人間の宗教にしてしまった当時のユダヤ教を糾弾し、大切なことは自己中心、人間中心を退けて、神に立ち帰り、神の御心に従って生きることだと教えました。それは決してユダヤ教に反するものではなく、本来、ユダヤ教もそのように教えていたのだと思います。大切なことは、どちらの神学が正しいのかということではなく、神の前に正しく生きることに他なりません。イエスもまた、何が本物なのかを見抜く方法は、神学を吟味することではなく、その人の実を見るようにと教えています。良い木は必ず良い実を実らせるものであり、悪い実がなるとすれば、それがたとえ正しいと言われている神学であったとしても、それは悪い木に他ならないということだと思います。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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