【日本とイスラエル】「ヤー」は神を表わす言葉

八坂神社

日本と古代イスラエル/古代ユダヤの類似について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本のルーツとユダヤ3・日本にもあったエデンの園伝説/中近東にもあった「ヤマト」」からご紹介いたします。

「ヤー」または「ヤ」

・・・神道用語をみてみると、「ヤー」または「ヤ」の音が非常に多いのに気づく。たとえば、「ヤサカ」「ヤタ」「ヤシロ」「ヤハタ」、そのほかにも数多くある。祇園祭では、「エンヤラヤー」という。神道の言霊学では、「ヤ」は神聖な音とされているとも聞く。どうも「ヤ」「ヤー」は、神の御名ヤハウェの短縮形ヤハ、ヤーから来たものと思われる。

ヤサカ

はじめに「ヤサカ」をみてみよう。ヤサカの勾玉(八尺勾玉)や、ヤサカ神社(八坂神社)、「弥栄」(いやさか 今までよりもっと栄えること)などの言葉にあらわれる「ヤサカ」である。「八尺」と書いたり「八坂」「弥栄」と書いたりするのは、いずれも当て字だからだろう。

ヤハウェへの信仰

ヤサカは、ヨセフ・アイデルバーグによると、ヘブル・アラム語では「ヤー・サカ」=「ヤハウェを見る」、転じて「ヤハウェへの信仰」の意味に解せるという。勾玉にしても、八坂神社にしても、ヤハウェへの信仰から生まれたものなのだ。そして「弥栄」つまり、より栄えることは、ヤハウェへの信仰から生じることである。ちなみに「弥栄」の文字は「いやさか」「やさか」と読むが、「やーえい」とも読めてヤハウェに非常に音が近いことも、興味深い。実際、「やえい神社」と読む「弥栄神社」も存在する。その神=ヤハウェを信じ愛することが、「今までよりもっと栄えること」である。「弥栄」は奥が深い。

八咫鏡

つぎに「八咫鏡」(ヤタの鏡)についてである。日本書紀では「八咫鏡」の字が当てられているが、古事記では「八尺鏡」である。「咫」は古代日本の長さの単位で、手の平の下端から中指先までの長さ=18センチくらい、また「尺」はもう少し長いと言われている。しかし、いずれにしてもその8倍では大きすぎるから、「咫」も「尺」も当て字のように思われる。もし「ヤタ」がヘブル語の「ヤ・タ」であるなら、それは「ヤハウェの部屋」の意味だ。八咫鏡は、ヤハウェの部屋の鏡ということになる。

ヤシロ

つぎに「ヤシロ」(社)、つまり神社は、先に述べたようにヘブル語の「ヤー・シロ」(yah shiro)から来たものとすると、「ヤハウェの器」「ヤハウェの斎場」の意味である。神社、ヤシロは、ヤハウェの斎場である。

ヤハタ

また「ヤハタ」(八幡)は、秦氏がつくった八幡神社だが、ヘブル語の「ヤー・ハタ」(yah hata)、つまり「秦(氏)の神」の意味だろうと私(久保有政氏)は考えている。このように、これら「ヤー」「ヤ」が神の御名ヤハ(ヤー)のことだと考えると、いずれも非常にすっきりするのである。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 48章1~7節

48:1これらの事の後に、「あなたの父は、いま病気です」とヨセフに告げる者があったので、彼はふたりの子、マナセとエフライムとを連れて行った。 48:2時に人がヤコブに告げて、「あなたの子ヨセフがあなたのもとにきました」と言ったので、イスラエルは努めて床の上にすわった。

 48:3そしてヤコブはヨセフに言った、「先に全能の神がカナンの地ルズでわたしに現れ、わたしを祝福して、 48:4言われた、『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる』。 

48:5エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。 48:6ただし彼らの後にあなたに生れた子らはあなたのものとなります。しかし、その嗣業はその兄弟の名で呼ばれるでしょう。 

48:7わたしがパダンから帰って来る途中ラケルはカナンの地で死に、わたしは悲しんだ。そこはエフラタに行くまでには、なお隔たりがあった。わたしはエフラタ、すなわちベツレヘムへ行く道のかたわらに彼女を葬った」。

エフライムとマナセはイスラエルの子とされた

ヤコブ、すなわちイスラエルは間もなく死を迎えようとしていました。その知らせを聞いて、ヨセフはエフライムとマナセを連れて、父イスラエルのもとにやって来ました。イスラエルは神がイスラエルとその子孫を増やし、カナンの地を与え、永久の所有とすると約束されたことをヨセフに告げ、ヨセフの二人の子、エフライムとマナセをイスラエルの子とすると言われました。このようにして、イスラエルの12部族の父祖にエフライムとマナセが加えられたのです。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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