【日本とイスラエル】武士道とユダヤ道

寒稽古

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「武士道:日本精神と聖書2」からご紹介いたします。

エリ・コーヘン

イエス・キリストの教えや、ユダヤ道、聖書の教えと、日本の武士道との間には、多くの共通点があります。たとえば、エリ・コーヘン元駐日イスラエル大使は、武士道と「ユダヤ道」の類似を次のように述べています。

「武士道——その教えの一つに『敵は己(おのれ)の内にある」があります。自分自身を清めることによってのみ、精神的に、知的に、なお一層強くなります。人は自分自身を厳しい目で見つめなければならない。そうすればすべての弱点に勝つのです。ユダヤ道——己を清め、精神的に、知的に強くなれと教えます。自分自身を吟味しなければならない、自分に対して『訴える者』となりなさい、そうすれば己を改善するために、何が悪しきことであるかを見つけだし、より良き人間になることができます。日本の武道の特別修練期間は、ユダヤの新年からヨム・キップル(大贖罪日)までの10日間に酷似しています。その期間、日本の武道では厳しい鍛錬と修練を通し、またユダヤでは長い祈りと断食を通し、自己をみつめ、己の間違いと弱点を克服しようと努めるのです」

空手五段のコーヘン元大使の発言だけに、興味深いものがあります。

克己

日本の武士道でも、ユダヤ道でも、本当の敵は自分の内にあると教えるわけです。人間は「克己」=己に打ち克つことが大切、という意味でしょう。じつはこういう共通性のゆえか、イスラエルのユダヤ人の間では、日本の武道を習う人がじつに多いです。・・・イスラエルのユダヤ人で日本の武道をしている人は、日本で武道をやっている日本人より、人口に対する比率がずっと多いくらいです。それも、克己の大切さへの認識から来ているのでしょう。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 8章1~15節

主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。

ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。

主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。

アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。

パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。

モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。

パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。

こうしてモーセとアロンはパロを離れて出た。モーセは主がパロにつかわされたかえるの事について、主に呼び求めたので、主はモーセのことばのようにされ、かえるは家から、庭から、また畑から死に絶えた。これをひと山ひと山に積んだので、地は臭くなった。

ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。

主に願ってください

大量のかえるが家にも、庭にも、寝室にも、寝台の上にまでも上ってきたら、耐えられないでしょう。それは偶然ではなく、神によるものだとパロも感じ始めているようです。パロはモーセを呼んで、かえるを取り除くように神に願ってくださいと言いました。しかし、かえるが取り去られ、息つくひまができると、その心をかたくなにしたと記されています。神は確かにおられると知ることと、その神に従うことは違うことです。大切なことは自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神を中心とし、神に従う生活をすることです。単に神の存在を信じることではありません。神を中心にすることです。それこそが太古の昔から日本人が大切にしてきた生き方です。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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