【日本人と日本文化】日本人の優れたところ

手とハート
日本人はあまり自覚していない

日本人にとっては当たり前のことなので、あまり意識していないことが多いように思います。しかし、何が日本人の優れた点で、どこが世界から見ると際立っているのかを日本人が自覚して、それ大切にして、世界に向かって発信すること、後世に継承することが大切なことだと思います。

日本人が世界に誇れる33のこと

日本にはとても大事なオンリーワンがあるとルース・ジャーマン・白石さんという方がその著書で指摘しています。「そのオンリーワンは、日本人にとってはあまりに当たり前な部分で、日本人自身が海外に長期的に居住することでもなければ気づかないものです。だからわたしは、日本人と深い絆のあるハワイ出身、24年の日本滞在、日本企業のみの勤務という経験を持つ自分だからこそ見えてくる日本人のオンリーワンを、日本人の皆さんにお知らせすることを考えたのです。日本には、決して捨ててはならないもの、と言うよりむしろ、海外に広げるべきノウハウやベストプラクティスがあります。」

日本発見の旅

著者のルースさんは大学3年生の時に名古屋にある南山大学に留学します。日本に行くための準備をしている時、ホームスティ先のお母さんから来た手紙に、日本人女性が持つ気遣いを感じ、大変感激したそうです。初めて日本に到着した日には、日本語が分からずに名古屋空港で困っているルースさんをホテルまでタクシーで連れて行ってくれる人に出会います。ホームスティをした日本人家庭では、一生忘れることのない「本当の愛」を体験したと言います。大学を卒業後、ルースさんは日本企業に就職しますが、困難の中でも、決してあきらめず、仲間を信頼し、将来を信じ切る日本人の姿に、自分は素晴らしい国に来たと確信したと言います。

日本人の信仰、宗教観

それは日本人の信仰、日本人の宗教観に根差していることを、私の著書「日本人の信仰が世界を救う」でも指摘しました。日本人はそのことも自覚していないと思いますが、世界の国々の宗教観と比較すると、日本人の信仰、日本人の宗教観は大変特異であることが分かります。優れた日本人の国民性は、世界でも独特な日本人の宗教観、日本人の信仰から出てきたものだと私は考えています。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は日本人の信仰はイエスの教え、聖書の信仰から来たものであることが分かります。それはキリスト教とはまた違ったルートで日本にもたらされた信仰です。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の信仰のルーツを知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 5章35~43節

イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司(かいどうづかさ)の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。

イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。

彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。

人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と共の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。

すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。

会堂司の娘の死の知らせ

長血が癒された女性に話をしていると、そこに会堂司の娘が亡くなったという知らせが届けられました。イエスを通して神様の力が働き、病気が癒されるということはあっても、死んでしまったら、もう駄目だと考えたのでしょう。もう、イエスに来ていただく必要はないと彼らは考えたのだと思います。

死者を生き返らせる

しかし、ここにはイエスが死んだ娘を生き返らせたことが記されています。本当にこのようなことがあったのでしょうか。もちろん、私には確かめる術はありません。しかし、天地万物を創造し、命を生み出すことができる神様に、死者を生き返らせることができないとは思いません。神様にとって、それは難しいことではないと思います。それは人間を中心にしていたら分かりませんが、神様を中心にすれば分かるのではないでしょうか。

絶望を超えた神様の希望

万策尽き果てて、人間的には絶望であったとしても、神様に不可能はないと私は思います。神様を中心にするとはそういうことではないでしょうか。決してあきらめない。決して絶望しない。神様に期待して、自分に出来る最善を尽くして生きる。その時、私たちは神様の奇跡を体験するのではないでしょうか。そうやって日本人は敗戦も、大震災も乗り越えて来たのだと思います。私自身、何度もそのような体験をして来ました。今日、こうして生かされていること自体が神様の奇跡だと思います。それが日本人の生き方ではないでしょうか。

いかがでしたか

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本をお求めください

本の表紙Amazonから書籍「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。電子版800円。文庫版2,182円です。日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。

本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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