【日本とイスラエル】略奪結婚と十五夜

中秋の名月

かつて日本にあった「略奪結婚」とイスラエルの風習について、また、日本の十五夜とイスラエルの風習との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本の風習の中の古代イスラエル」からご紹介いたします。

略奪結婚

日本ではまた、かつて盆踊りの時に「略奪結婚」をする風習があったという。たとえば九州の大分には、夜、大勢が踊り狂う間に、男子は自分の想う娘を山林に担ぎ去る風習があった。

古代イスラエルの風習

興味深いことに、じつは古代イスラエルにも、同じ風習があった。古代イスラエルにおいて、ベニヤミン族の女性が根絶やしにされてしまった出来事があった。そのときイスラエルの長老たちは、どうしたらベニヤミン族を存続させられるだろうかと話し合った。「そうだ。毎年、シロ(10支族のいた北王国の町)で主の祭がある」と彼らは言った。そしてベニヤミン族で生き残った男たちに命じた。「行って、ぶどう畑で待ち伏せして、見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕え、ベニヤミンの地に行きなさい」ベニヤミン族はそのようにした。彼らは踊っている女たちを略奪し、自分たちの数にしたがって、連れて来た」。(旧約聖書士師記21章16~23節)そんな話が聖書に記されている。

十五夜

日本にはまた、旧暦の8月15日に、「十五夜」の風習がある。旧暦のような月の暦では、毎月15日は満月である。とくに旧暦の8月15日は「中秋の名月」がながめられる日なので、この日を「十五夜」という。これは新暦では9月中旬~10月上旬頃にあたる。

仮庵の祭

そして日本で「十五夜」の日は、ユダヤ暦では第7月の15日にあたり、ちょうど仮庵の祭の日にあたる。つまり日本で「十五夜」を行なっているとき、ユダヤでは仮庵の祭を行なっているのだ。・・・じつは日本の「十五夜」の風習と、ユダヤの「仮庵の祭」の風習は、きわめてよく似ているのだ。なぜなら「十五夜」のとき、日本人は伝統的にしばしば仮庵を建て、そこに家族や親戚が集まったものである。ススキを花瓶にさし、団子や里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、「中秋の名月」をながめて、お月見をしながら、家族団らんの時を持つ。

古代イスラエルの風習

古代イスラエルにおいても、北王国イスラエルでは8月15日に、南王国ユダでは7月15日に、仮庵を建て、そこに家族や親戚が集まった。そしてその時期の成り物を供え、中秋の名月を鑑賞しながら家族団らんの時を持ち、その年の収穫を喜んだのである(旧約聖書レビ記23章39~42節)。この風習は今もユダヤ人が毎年行なっている。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 42章26~34節

彼らは穀物をろばに負わせてそこを去った。そのひとりが宿で、ろばに飼葉をやるため袋をあけて見ると、袋の口に自分の銀があった。彼は兄弟たちに言った、「わたしの銀は返してある。しかも見よ、それは袋の中にある。そこで彼らは非常に驚き、互に震えながら言った、「神がわれわれにされたこのことは何事だろう」。

こうして彼らはカナンの地にいる父ヤコブのもとに帰り、その身に起った事をことごとく告げて言った、「あの国の君は、われわれに荒々しく語り、国をうかがう回し者だと言いました。われわれは彼に答えました、『われわれは真実な者であって回し者ではない。われわれは十二人兄弟で、同じ父の子である。ひとりはいなくなり、末の弟は今父と共にカナンの地にいる』。その国の君であるその人はわれわれに言いました、『わたしはこうしてあなたがたの真実な者であるのを知ろう。あなたがたは兄弟のひとりをわたしのもとに残し、穀物を携えて行って、家族の飢えを救いなさい。そして末の弟をわたしのもとに連れてきなさい。そうすればあなたがたが回し者ではなく、真実な者であるのを知って、あなたがたの兄弟を返し、この国であなたがたに取引させましょう』」。

神がわれわれにされたこのことは何事だろう

神は私たちのすべてのことを見ておられる。日本では昔から「お天道様は見てるよ」と言われてきました。人の目ではなく、神の目を意識すること、それは神を畏れて生きると言うこともできるでしょう。それこそが人として、本当に幸いな生き方なのです。兄たちにも神への正しい畏れがよみがえってきたようです。袋の中に、穀物の代金として支払ったはずの銀が入っているのを見つけて、彼らは喜んだのではなく、恐れました。神はなぜこのようなことをされたのだろうか。そのように記されています。それはとても大切なことです。このように、いつも神を意識して生きること。それこそが人として、最も幸いな生き方です。これまで自己中心的な兄たちでしたが、神を畏れる心がよみがえってきました。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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